カーフリーデーを休日に実施しても…2014

豊橋市はカーフリーデーだったようで、市役所ではそのイベントが行われていた。タクシー業界からも内容は分からないけれど毎年出展しているようで、カーフリーデーというよりは公共交通機関利用促進日なんて趣の強い日でもある…。

そういえば去年も同じようなことを考えていた。

カーフリーデーを休日に実施しても・・・

「Car Free」車から解放、それはとても難しいことで、これまで政策として行われてきた、郊外型ショッピングセンター誘致や、埋立て地工業団地、それに市民病院までも郊外に移転させておいて、いまさら「自家用車に頼らない日常生活」なんてことを声高にアナウンスするってのも破廉恥、いや自縄自縛、マッチポンプなんて思ったりもするのだが。

車なしでは生きていけないボクたちの生活において「カーフリーデー」というのもなにかおかしな話で、というか、もう自虐ネタみたいなもので、なにか虚しさを感じる。環境のことを考えるのはとても大切なことなんだけれど、そのカーフリーデーである本日9月20日にもトヨタ自動車をはじめとする自動車関連企業のラインは稼働していて、明海工業団地や緑が浜の埋立地にむかう通勤の車の列はカーフリーデ―、すなわち車乗り放題といった趣。

その車を造るための部品は大型トラックが遠路はるばるクラクションを鳴らしながら疾走して来て、完成車を運搬する超大型船は風光明媚な三河湾を黒煙を吐きながら優雅に進んでいる。これが実はカーフリーデーの現実で、市役所勤務の公務員のみなさんには申し訳ないのだけれど、ままごとみたいな催しよりも、トヨタ自動車前で「反ライン稼働」のシュプレヒコールのほうが効果的だと思ったり。

年に一度の集団幻想。

ボクたちは囚われの身なのだ。自由と言うのは実は幻想であって車という鎖に手も足も繋がれてしまっていて身動きできずにいる。電力もそうだ。反原発と唱えながら家電製品という鎖に繋がれている。

囚人どもの叫び。なんだか哀れに思える。10%や15%削減したところで、いずれは滅びる。それは糖質70%オフなんてビールのコマーシャルと同じで、不老長寿の薬ではないのだ。

車に頼り切っているのはなにも市民の足だけではなくて、実は豊橋市や田原市の財政も同じで、切っても切れない縁、それにこの国だって自動車産業なしでは生きていけないということは自明の理。その腐れ縁を断ち切りたいがために、あるいは公務員が「トヨタさんに生かされているわけじゃないもん」なんて意地を見せたところで、カーフリーな社会なんてのは不可能な現実なのだ。

まあ、今年も「カーフリーデーを休日に実施しても…」なんて思ったし、そんな市の思惑とは裏腹に工場は稼働していて、通勤のラッシュとその車は量産されて、なんだか奇妙な、というか歪んだ景色に映ったのだ。それもこの国の現実なのだ。

豊橋や田原、ようするに自動車城下町ってのは「自家用車に頼らなくても日常生活に支障がない」と言う前に「自動車に頼らなくても市政に支障がない」と言えないところが、こんなプログラムの痛いところなんだけれどね。

 

エビスビールのグラス
そんなことよりも8年使ったグラスが割れたのが悲しい…。

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