安倍首相が靖国を参拝する理由はいったいなんなんだろうか

鬼怒川決壊のニュースを見ている。こんなことが簡単に起きてしまうほど、ボクたちの国は脆い。人は自然には勝てはしない。どれほど「安全」にしたところで、必ずそれは壊される。安全なんてものはないと思ったほうがいい。

ニュースでは自衛隊員や消防署員、警察のヘリが重なるようにして救助している映像が流れている。ありがたい。救助する方も命がけだ。

いったい何のために命をかけなければならないのだろうか?仕事だからだろうか?

戦争が起きたら、真っ先に彼らが命をかけることになる。そうなった時も「仕事だから」と割り切って戦うのだろうか。救助ではなくて殺人を行うことが「仕事」としてできるのだろうか?

そんなことを考えていると、仕事なんかでは命はかけられないと思った。いや仕事で人を殺すことなんかできはしない。ボクたちの行動は、きっと、「愛」で司られている、そう思う。自衛隊や消防署員、警察の必死の救出を見ていると、それも仕事ではなくて愛のように感じられる。

靖国に行くと強くそう思う。あの遺書を読むと戦争とは「愛」という行為だと思う。親への、家族への、恋人への愛なしには、ボクたちは命を捨てて闘うことは出来はしない。親や家族、恋人を守るためだからこそ、人を殺し自分を殺すことを肯定できるのだ。

そいう考えると、法律を変えただけで戦争なんてのはできるはずがない。戦争が出来る国民をつくることが、まず最初にあるべきなのだ。戦争をしろと言っているのではない。親や家族、恋人、人と繋がっていられる国家をつくることが大切だということなのだ。それは戦争しないということと同じ意味なのだ。戦争も戦争抑止力もボクたちの「愛」が支配するのだ。

ところがこの国はどうだ。

一方では愛国を説き、一方では亡国を説く。

派遣法改正のことだ。これほどまでに非正規が増加したことだ。

派遣社員や期間従業員の増加が格差を生み、社会の貧困化をまねいている。非婚化が進み、家族とも社会とも無縁になる人々が増えている。独身でもせめて正社員であれば会社と繋がっていられるのだけれど、この国はその繋がりも断とうとしている。

愛の喪失。超個人主義国家になっては、いったいボクたちは誰のために戦うのだろうか?誰のためにこの国を守るのだろうか?そうして何のために生きていると感じられるのだろうか?
そのことをすっかりと忘れてしまって、国家を語るなかれ。

派遣や期間工の最大の問題はそこにあるのだ。そしてその多くは、ボクも含めて、故郷を捨ててしまったということなのだ。家族を捨ててしまったということなのだ。非正規として職も居住地も捨てて転々とする。そして愛なんてものまでもすっかり捨て去ってしまう。国は救うどころか、その生き方を強要する。

非正規の増加がこの国を滅ぼすということを、みんな早く気がつくべきなのだ。愛国なんて言う人たちこそ、その問題を取り上げるべきなのだ。「派遣反対」こそ「戦争反対」ということなのだよ。そして「正社員化」こそ「国防」なのだよ。

靖国神社

2件のコメント

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    テルさん、どうも。
    派遣とか期間工なんてのも搾取されているのですが、それを何も思わない組合もどうにかしている、というのがボクの考え方です。
    まあ、無用の長物、そんな感じもして、今度の安保法制にも賛成だから声をあげないのだろうと。派遣法と安保法制ってのはセットなわけだし、相変わらず若者を使い捨てようとしている国家なわけなんだけれど。

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    田原笠山さん、こんばんは。今週は2直で多残業という事もありいつもより疲労した週でした。来週は休日出勤もありますので忙しくなってきそうです。
    私も、色々あり地元はもう捨てた様な物なので派遣や期間工をやられている方と同じではありますが今回の派遣法改正でますます国は国民からまた搾取を始めたなと感じてしまいます。
    上手く文章は書けないのですが、愛国なんて言っている人ほど国を愛している気がしないと感じます。
    これから寒くなりますのでお気をつけて下さいませ。

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