ボクは絶望していたりする
雨だね。
写真の整理が終わらなくて・・・。
想い出がボクの周りに広がる。過去が落葉のように重なり合う。ため息が過去を着色する。戸惑いながら、ボクたちは再会する。
写した写真はなんの手を加えず、そうしてどんな選別もせずに、そのまま保管していて、例えば間違えてシャッターを切った暗闇の真っ黒の写真だって、残っている。あの時が指先から蘇る。
田原2寮に住んでいた頃のボクと言ったら、夕方に新日化カーボン横の水路を辿って海の縁まで出かけることが趣味みたいになっていた。趣味、というか、癖みたいになっていたんだ。
あれほど大勢の若者たちが暮らしていたトヨタの寮だったのだけれど、その多くは疲れ果ててしまっていて、その果てしない疲労がボクたちの情緒の部分までもすっかりと枯らしてしまっていて、そのボクたちの表情や行動が監獄なんて言われる原因になっていたんだろうと思う。
酒とギャンブルと風俗、それに生の証を求めている者と、沈黙に自己存在を確認していた者、その二種類のボクたちがいた。
コトバは、ボクたちを否定はすれど肯定はしなかった。だってボクたちはそこへ流れ着いた漂流者で、コトバはボクたちを慰めてくれることはなく、ただただ哀しみを増幅させるだけのモノだったんだ。
ボクは、その場所に行って、漂流者であるということを確認していた。どのように生きていくなんてことよりも、とにかく明日のために食べ眠ることが優先されていたんだし。振り返って考えること、それはコトバを重ねるってことなんだけれど、そんなことをすると、たぶん、ボクたちは壊れるに決まっていた。それよりは漂流者の不幸の中に留まっていたほうが安全だった。そのことをボクたちは、誰に習ったのではなくて知っていたのだと思う。
ボクたちは孤独な漂流者であったほうが、あの無機質で乾燥した風景の中を生きていくのに有利だったのだ。ちょうど砂漠に棲む爬虫類のように。絶望だけがボクたちの救いであったし、ボクたちの強さでもあったのだ。希望なんてものはないほうが良い。そう思っていたし、今もそう思っている。そのほうが本当は楽しい。そのほうが自分らしくなれる。
その場所で、ボクは何も考えずに三河湾に沈む太陽を見ていた。沈み太陽のほうが好きだった。朝日よりはね。そうしてボクは絶望していた。それがボクの肯定でもあった。夢なんか、そして明日なんかないと思えば、なんでもできる。こうしてボクがここで生きているようにね。
ちょうど10年前。ボクが10歳若くて、いまよりももっと絶望していたころ・・・。
元2塗装さん、どうも。
少しだけ、例えば満了の日なんてものだけは、希望だったかなあ・・・。その後になにかがあるわけではなかったのですが・・・。
タイミングが悪い、というか、つきがない、なんてことが人生に付きまとっている、ように感じることもあります。
今は、まあ、なんとか生きることに、慣れてしまったようでもあるのですが・・・。
自分にとっては8年前です。
あの頃は絶望しかなくて、刹那的な生き方をしていました。
社員登用はリーマンショックで無くなりましたし。
それが今では、社員登用の大安売りのようです。
氷河期世代には世知辛い世の中ですね。