火垂るの墓

2009年の8月15日に書いたものです。

「火垂るの墓」についてひとこと(画像だけ今年写したものに替えています)

この時期、もう風物詩と言っていいだろう映画「火垂るの墓」が昨夜放送されました。そして今日のお昼のNHK「私の1冊 日本の100冊」も「檀ふみ“火垂るの墓”」でしたね。壇さんは清太と節子の美しい愛や情景を中心に、その内容をお話していました。

壇さんのように主人公に同情的な悲しい物語として見る人もいれば、清太の妹殺しということについての非難的な見方をする人もいます。いろいろな感じ方があるということは悪いことではないと思います。この映画のテーマが深重なものなのですから、なおさら多様になると思います。

作者の野坂昭如さん自身も

この映画は戦争を描いたものではあるが、同時に、若い無思慮な少年が自分自身のつまらない自尊心を原因に妹を死なせてしまったこともあからさまに描いた物語なのだ。

(参照「愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記」)

と述べているように、戦争というものだけを抽出して、その時代を前景にしてしまうと悲しい切ない物語ということだけになってしまうでしょう。あるいは逆に物語を全て戦争という主題だけで捉えることも出来るでしょう。

清太と節子の死だけを扱えば、原因や犯人は誰だということに主題が絞られるようにも思います。そして野坂さんがおっしゃるように「死なせてしまった」物語として清太は責められるのでしょう。

ただボクは、あの清太が誰だったのか、そして節子が誰だったのか、それを考えると、あの時代には多くの清太がいてそして多くの節子がいたのだろうと思います。特定された個人ではなくて、例えば清太は国家であり、節子は国民として考えるとことも出来ると思います。いや、そのほうが分かりやすいと思います。

あの頃の日本は「若い無思慮な」「つまらない自尊心」で多くの国民を殺してしまったのだから。

ボクは、そうやって毎年「火垂るの墓」を見ています。

70年目の原爆ドーム

また、若いふたりを助けられなかったということを考えると、今の派遣切りやホームレスの問題にも通じるところがあると思います。

現在は、駅でホームレスの人が死にかけていても、格差で喘ぐ人がいても、知らん顔をする人が多いのですが、あの頃も同じように「一億総玉砕」なんてことを言いながら、死にかけていても、栄養失調で瀕死の状態だったとしても、あの「滋養が足りない」とだけ言って何の処置もしなかった医者のような人たちが多かったのだろうと思います。

昨年末からボクたちは多くの節子を見てきました。銃器や弾薬による戦争で死ぬことはなくなりましたが、経済という戦争がそれこそグローバルに行われていて、派遣切りや格差という戦争犠牲者をつくりだしています。直接命を落とすということはないのですが、年間3万人という自殺者の多くはその経済戦争の犠牲者でしょう。ホームレスの人たちの多くも同じでしょう。

いつの時代にも清太がいて節子がいるということです。

64年前もそして今も、ほとんど何も変わってはいないということです。自殺やホームレスになるということだけではなくて、結婚できない状況に多くの若者を追い込んで、そして子孫を残すという本能を奪い取ったりすることも、尊厳を奪っているということなのです。それでも「滋養が足りないんだよ」と同じように自己責任として突き放す。

涙を流す人も多いのでしょうね。

悲しい映画ですもんね。

でもね、戦争は今も起きていて、その犠牲者たちが駅や公園に、清太と節子と同じように、自分たちの住む場所を築こうとしています。それもまた悲しい物語です。

終戦記念日です。そして毎年「火垂るの墓」が放送されます。

この国のために働いてそうして命を落とす人は、今もいるということを、ボクはこの映画を見るたびに思うのです。そうして、清太は、節子は誰なのか、一年に一度考える機会をボクたちに与えてくれているようにも思います。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA