夕凪の街、桜の国

「戦争に勝っていれば」、2月に亡くなったKさんがいつも言っていた。

「勝っていれば」いったいどういうことになったのだろうか、そうボクはいつも思っていたし、今よりは平和な世界秩序が形成されただろうとは考えることができず、きっとこの国はいつかは「負ける」運命だったのだ、そう20代のボクはボンヤリと考えていた。

敗戦から70年目の安倍談話はよかったと思う。

首相の歴史認識は正しいと思う。あの戦争は運命だった。あの頃のすべての国策が間違っていたとは思わない。「そして70年前、日本は敗戦しました」というところで、Kさんのことが少しだけ思い出されたということもあったのだけれど、ボクは少し泣けてきた。負けたから今の繁栄がある、のだけれど、負けたから大きな犠牲も強いられたのだ。

「これほどまでの貴い犠牲の上に現在の平和がある」のだけれど、広島や長崎や空襲によるこの国の犠牲者は、「反省」や「おわび」を求めることもなくいまだに苦しんでいて、いまだに平和は訪れていない人も多い。負けたから、黙って耐えてくるしかなかった。

「あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちを、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というところで、またボクは少し泣けてきた。きっとそうなのだ。TBSの報道特集ではこの部分をとても否定的に捉えていたのだけれど、多くの日本国民は首相と同じ、談話と同じ考えだと思う。ボクもそのひとりだ。戦勝国の行為は、それがどれだけ残虐であろうと、正当化される。そして彼ら主導の世界秩序が作られる。

傷ついているのは、そしていつまでもその傷を背負っているのは、実はお互いさまなのだ。それが戦争なのだ。傷つけあうのが、殺し合うのが、そしてそれが正しいと思うことが戦争なのだ。

だから広島や長崎のような惨劇が起こる。いったいどういう正当性を持って原爆という人体実験ができるのだろうか。ボクたちは傷ついて、そしてなお謝り続けなければならないのだろうか。

未来永劫的に。そして逆にアメリカには感謝し続けるのだろうか。いったい、これはどういうことなのだろうか。ボクたちが勝っていれば、謝罪を要求できたのだろうか。

広島に行った。

平和記念公園は30年ぶりだったのだけれど、ボクの記憶とそれほど違ってはいなかった。原爆ドームもあの時のままだった。時は止まったままだったのだけれど、それはもう変化のない終わりの姿を人々の前に見せていた。戦争は終わっている、それは確かなことのように感じた。そして多くの観光客も原爆ドームを人造的なアートのように、それをバックに記念撮影をしていた。ピースサインをする女の子の白い歯が眩しかった。ドームの形は、それがあの時のものなのか、時の流れによって風化された今の形なのか、ボクには見分けはつかなかった。

基町団地に行った。そこにはまだ戦争が残っている。実際に戦争の傷跡がそこいらにある。

NHKドラマ「基町アパート」を見てからずっと基町の風景がボクの中にあったし、「夕凪の街、桜の国」のあのバラック小屋の情景が、映画を観た時の涙の味とともに感覚として残っていた。来たかったのだ。

戦争は終わったわけではない。たとえばこのふたつのドラマのように、二世三世という形で残っている。それはドームの形とは逆にあの時のままではなく、時の流れによっても風化されずに、変化し続けて存在している。そして未だに苦しみを抱えて生きているのだ。

ドームはもうすでに終わっていてカタチとして無味無臭の、そして体温のないものとして存在している。基町団地はいまだに戦争と言う生臭い呼吸を繰り返している。

ボクたちはいったい何をどう謝罪しなければならないのだろうか。こういった現実を見ると、うまく解決できなくなる。

反省は出来る。戦争をしてはいけないということは分かる。だけれど、負けたからという理由で、ボクたちはいろいろなことを強要され、戦犯として死刑も執行され、原爆は「落とされた」のに「落ちた」ことにされ、歴史までも歪曲される。それは本当に正しいことなんだろうか。

広島にはまだ終戦は来ていないように思った。いやこの国には敗戦の日はあるけれど、終戦の日は、それこそ未来永劫来ないようにも思う。いや、本当はずっと終わらないのだろうと思う。それが戦争なのだろうと思う。

広島 基町団地
夕凪の頃の基町高層アパート 夏

3件のコメント

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    テルさん、こんにちは。
    今日から仕事でしたね。初日、雨の通勤バス、故郷の思い出…。楽しというよりも、切ないって感じだったことを思い出しましたが。
    広島は何度か行っているのですが、平和公園はずいぶんと久しぶりでした。
    ええ、また連絡してください。
    少し秋の気配もして、少し身体も楽になるのかなあ、なんて思っています。

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    重ねてのコメントで恐縮ですが、田原笠山さんもお体に気を付けてご自愛下さい。私も明日からの仕事を頑張りたく思います。

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    広島に行かれていたんですね。昨日、終戦記念日でしたね。私も聞いた話でしか分かりませんが戦争の恐ろしさを知っている世代がこれからどんどん減っていきますね。
    2つ目のコメント返信もありがとうございます。おこがましいですが満了時はコメントかメールでご連絡をお送りする事になるかもしれません。その際は、よろしくお願いいたします。

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