父の日と戦争

この国は、今のところ平和なんだろうと思う。格差や貧困が問題になったとしても、餓死することもなく強盗や乞食をしなければならない切羽詰った状況になることも少ない。こうして世の中に背を向けたボクでさえ、不幸ではない生活を送っている。

sustainableというコトバを最近よく目にするようになった。「持続可能な」なんて意味なんだだけれど、そういったコトバを使わなければならないほど、世界はunsustainableに満ちているのだ。エネルギー、食料、環境、なによりもこの地球自体持続できないのではないかと言われている。

ボクたちの平和な暮らしも、たぶんみんな知っているのだろうけれど、もうほとんど瀕死の状態になっていて、いつ崩壊するか分からない。unsustainableな事例が多すぎることに目を背けて暮らしているとしか言いようがないほど、ボクたちは能天気に暮らしている。身体に悪いと分かっていても煙草を吸う心理状態に似ているのかもしれない。

組織とか集団を、次の世代に受け渡すことが、ボクたちにとって重要なことなのだろうと思う。それはなにも国家なんて大きなものではなくて、もう少し小さなレベル、地域とか職場とかあるいは家族なんて範囲でのことなんだ。そういった集団を、独裁者とか権力者とか暴れん坊から守らなければならないのだろうと思う。あるいは、innovationなんて耳障りの良いコトバを使って、改革の優位性を説く人たちから、守らなければならないのだろう。組織や集団は経済ではないということをもういちど考え直す時なのだろうと思う。

子供たちに今感じる幸せを受け渡すことこそ最重要課題だと思う。危険な賭けはしないことだ。組織や集団は賭場ではないのだから。

父の日だった。世の中の父親たちはずいぶんと頭を悩ましていると思う。労働者派遣法や安保法制なんて法律が変わりそうだからだ。たぶん「うちの子に限って」なんて思っている父親も多いのだろう。「うちの子が派遣社員なんてのになるわけない」とか「うちの子が戦争にいくなんて」とか思っている父親がほとんどなのだろうと思う。あるいは「女の子だから」なんてこれまた能天気な父親も多いのだろうと思う。

違う。もう分かっているはずだ。経済戦争や武力戦争においては「うちの子に限って」とか「女の子だから」なんて法則は通じない。戦争の被害者にならないのは一握りの人たちだけだ。

父親たちはそういったことを考えたほうが良い。我が子にプレゼントをもらって嬉々としているよりは、その子が父親に、あるいは母親になれるるかを、そうして幸せで平和な暮らしをしプレゼントをもらうことが出来るのかを。

父の日、たぶん、そんな将来を憂いたからではないのだろうけれど、名古屋で父親とその子供の自殺があった。

車内から父と小2の遺体 名古屋、無理心中か:朝日新聞デジタル

どうして父の日に、なんて思うと悲しくなった。

そしてやっぱり派遣法や安保法制の改正なんてのは、家族や地域なんてものを破壊するものなんだと思った。それを変えたところでいったい、だれが幸せになるんだろうと思う。

でも、ボクは子供がいないので、実はどうでも良いのだ。戦争が起きようが徴兵制が始まろうが、派遣制度がズブズブになってこの先一生派遣の人が増えて結婚できない人が増えて凶悪犯罪が増えたとしても、この寿命が終わるまでのことなのだから。その間だけ幸福で平和ならば良いのだし。いや戦争が起きて若者が戦死したほうが住みよい世の中になるかもしれないと、密かに思ったいたりもする。

人間は利己的な生き物なのだ。

でも、まだ間に合うような気もする。気がするだけか……。

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