そして一番霊山寺へ(44日の1)

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上板スポーツ公園3塁側ベンチの夜は、12月、初冬の冷え込みだった。mont-bellのULアルパインダウンハハガー#3でも寒いくらいだった。使い捨てカイロを足元に入れた。シュラフカバーは結露するので出来るだけ使わないようにしていた。使わなくても済む気温だったということもあるのだけれど。

霊山寺山門の提灯
(霊山寺山門の提灯)

深夜に、たぶん0時を回ったころだろうか、アベックが犬の散歩にやってきた。グランドでボールを投げてそれを犬に拾わせるということを何度か繰り返していた。ボクのことに気づいてすこし驚いたようだった。そして1塁側にも同じように遍路が寝ていたのだから、2度驚いたのだろうと思った。

あるいは、毎日違う遍路が寝ているのかもしれない。もう上板は遍路の聖地となっているのかもしれない、と考えていた。四国とはいえ、安心して眠れる場所が簡単に見つかるわけではない。

散歩のアベックがいなくなると、また静寂が戻ってきた。少し寝た。次に起きたときは1時30分、そして次に目が覚めたときは2時だった。眠りは浅かった。日付が変わって、もうその日が四国最後の日になっていた、そういう興奮した気持ちもあった。

なによりも「帰れる」と思った。「やっと、終わる」と思った。

アパートに帰れば毎日風呂に入ることが出来て、そして暖かい部屋で安心して眠ることが出来る。そう思うと、そこが楽園に思えてきた。豊かさとはなんと身近にあることか、と思った。ここでそのギャップを感じることができるのも不思議なことだった。ここ、文明の国、日本にボクはいたのだから。

もう眠れなかった。寝袋からはい出して、音をたてないようにパッキングをした。いつものように。ヘッドライトも出来るだけ使わなかった。1塁側の遍路氏に遠慮したということもある。不審者として通報されるのではという懸念もあった。

パッキングを済ませると、出発した。2時30分。意味のない出発だった。早く着きすぎる・霊山寺まで6~7キロという場所だった。2時間としても5時前だ。それでも出発した。ゆっくりと歩いた。正面玄関から県道12号線に向かって歩いた。

ゆっくり歩きながら板野町に入った。羅漢のローソンのところで少し休憩した。その先のコインランドリーでも休憩した。疲れているのではなくて、時間をやり過ごした。懐かしい思い出が蘇った。あの日、板野と坂東を間違えて2駅手前で下車してしまったこと、そして霊山寺に戻ったことを思い出した。そこを歩くのは3度目となっていた。

5時、阿波川端駅着。駅のベンチに座って朝食をとった。おにぎり2個とほっとレモン。それからまたゆっくりと歩き始めた。寒い朝だった。鳴門PAの場所を確認するためにドイツ館バス停の所から高速道路の高架をくぐり、PA入り口の階段を上った。そして下りて霊山寺に向かった。

6時00分、一番札所霊山寺到着。開門前。朝は粛々と再生されているように感じた。ボクはバスチケットを買うためにローソンへ向かった。

霊山寺で昨日のろうそくを燃やす
(霊山寺で昨日のろうそくを燃やす” title=”霊山寺で昨日のろうそくを燃やす、そして朝がやってくる)

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