遍路とは(44日の2)

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早朝6時に一番札所霊山寺に着いたボクは、近くにあるローソンに向かった。高速バスで鳴門PAにある鳴門西バス的から難波まで行き、それから南海電鉄高野線で極楽寺駅まで、そこから高野山までケーブルカーで行く予定にした。それは早朝歩きながら考えた。

霊山寺の夜明けとローソンの看板
(霊山寺の夜明けとローソンの看板)

予め決めてはいなかった。なにもかも。行き当たりばったり、というよりは、臨機応変、体調や天候に合わせての遍路だった。予定を決めるとそれに縛られる。しかたないことはしかたないのだろうし、と考えていた。それを考えることが出来る時間があるということが前提ではあるのだけれど。多くの遍路は時間に拘束される。そして区切り打ちをしなければならない人も多い。

何度か書いたのだけれど、遍路のスタイルにはいろいろあって、どれが一番とかどれが霊験あらたかなのかということは誰も分からないし、決められないと思う。どれも大変なことなのだ。野宿しない人たちはそれだけ宿泊代がかかる。打ち終わるまでに40万とか50万円という出費になる。

区切り打ちのひともそうだ。その金額プラス何度も四国への交通費が増える。そしてお金を貯めて休日を使い遍路をする、という生活全てが遍路になる。人生即遍路なのだ。

ツアーにしても同じだ。時間がない人、あるいは健康ということもあるだろう。人生いろいろなのだから。

遍路をしようと思うことが大切なのだろうと思う。なにもいらないし、どんな作法でもいい、その気持ちを持つことですでに8割がたは結願しているのだろうと思う。したくても出来ない人のほうが多いのだから。多くの四国八十八か所が全国にあるということはそういうことなのだろうと思う。そこで結願することも、本四国で結願することも、同じなのだと思う。

遍路とは。いろいろなワーディングでそれが語られると思う。そして遍路とは、ということを言葉にするのも簡単なのかもしれない。でも、実際、ボクは分からないでしるし、なにかがボクの中に生まれた、あるいは、消滅したなんて実感もない。

そうして、遍路する前と同じ生活をしている。精神的にも物質的にも変化していないのだ。「擬死再生」という言葉を使ったとしても、それがマジックのようにボクに起きたかというと、その気配すらない。

膝の痛みも、足に出来た豆も、もうすっかり消えてしまった。思いでも徐々に変化する。

そしてボクはなお今もすがる。線香を焚いては「南無大師遍照金剛」と唱える。般若心経を唱える日もある。そして近くのお寺に行くこともある。

擬死再生というよりも、また元に戻ったという感じなのだ。

ボクはロッピーで南海なんばまでのチケットを買った。9時17分発のバスだった。それから霊山寺に向かった。山門で一礼をして、いつものように納経をした。まるで今から打ち始めるような気持ちになった。

納経所に行きお土産を買った。納経所の方と少し話をして、結願記念のお数珠を頂いた。高野山の地図やガイドブックも頂いた。まだ7時を少し回ったところだった。ボクはそのまま高速バスの乗り場へ向かった。

霊山寺の本堂と仏像のシルエットと夜明け
(霊山寺の本堂と仏像のシルエットと夜明け)

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