讃岐平野(41日目の1)

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雨だった。国分駅の自転車置場の朝。5時10分に目がさめた。それからいつものようにパッキングをした。屋根があるおかげで、寝袋もマットも濡れなくてすんだ。屋根のあることの幸せ。

6時00分出発。雨は小降りになっていた。そしてすぐに霧雨となって、止んだ。まだ暗かった。ボクはヘッドランプを点けて歩いた。国分寺山門前を通り、ラブホテルのところを曲がった。そして山に向かって歩いていると東の空が少しずつ明るくなっていった。遍路道の道標やマークを確認するために何度か立ち止まった。

県道180号線までの登りは雨上がりで歩きにくかった。そしてここも「遍路ころがし」と言われる難所だ。それでも途中の休憩所からは「野がひろく、山がとびきりひくい。野のあちこちに物でも撒いたように円錐形の丘が散在しており、野が広いせいか、海明かりのする空がひどく開豁に見え」と司馬遼太郎先生の書く讃岐の自然を高度を上げながら見ることが出来たのだから、それはそれで幸せなことなのだろう。

国分寺・白峯寺ルート一本松手前の休憩所から見える国分、讃岐府中、加茂川方面
(国分寺~白峯寺ルート一本松手前の休憩所から見える国分、讃岐府中、加茂川方面)

県道に出たら自衛隊駐屯地にそって自動車道を歩く。いきなり近代的な自衛隊車両に出くわすと、違う世界に紛れ込んだように驚いてしまった。そしてまた山道をあるく。自衛隊の厩舎横を通る。そして森の中に入ってゆく。一瞬のズレ。それは風景のタイムラグで、目の前を過去と現在が交差していた。

8時20分、2時間少しかけて八十一番札所白峯寺に到着。崇徳天皇陵のある山奥の札所は、初冬の装いだった。納経をすませると、少し休憩して、山門を出たところの自販機で暖かいミルクティーを飲んだ。かなり甘いものだけれど、その時はもう少し砂糖を足したかった。

9時00分に出発。ボクの前に女性ふたり連れの遍路が行った。休憩を少し取ったのは、彼女たちとの差を開けたかったということもあった。坂出簡易保険保養センターに宿泊しての出発のようだった。

そのふたりを分岐の手前で追い越した。根来寺を打ち終えて五色台みかん園のところでもう一度追い越すことになる。ボクは左、彼女たちは右折して国分寺を目指したのだけれど。

白峯寺からは、今来た道を打ち戻って、県道近くの分岐を左折する。そこからゆっくりとした登り坂が続いて、そしてまた県道に出る。そこからゆっくり下ってゆく。10時05分、みち草という食堂に寄った。空腹だった。うどんを頼んだ。そしてアーモンドチョコを買った。10時30分、みち草発。アーモンドチョコを食べながら自動車道を歩いた。

10時50分、八十二番札所根来寺着。初冬の白峯寺、そしてこの根来寺は晩秋の風景を残していた。紅葉が有名なのか観光客が大勢やって来ていた。そして確かに紅葉は今が盛りと燃えていた。

その山門をくぐると、三角寺、雲辺寺と会ったおじさん遍路氏がいた。そして外国人バックパッカーも隣にいた。おかしな組あわせというか、一緒にいたり別々だったり…。なんて考えながら、昨日のことなどを話し合った。ふたりはやはり坂出簡保保養センターに宿泊して、雨の様子を見ての出発だったそうだ。

「じゃあ、また」と彼らと別れて、ボクは本堂へと向かった。

白峯寺から根来寺への遍路道にて 紅葉とお地蔵様
(白峯寺から根来寺への遍路道にて)

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