仙人は遊び凡人は膝が笑う仙遊寺(35日目の1)

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雨は止んでいるようだった。海が近かったのだけれど、その気配は5階のホテルまでは届いていなかった。5時30分起床。洗顔をして荷物のパッキングを始めた。朝食は6時からだった。長い眠りが身体を蘇生させていた。

6時10分に荷物を持ってロビーに下りてゆく。それからパンとコーヒー、ゆで卵の朝食を食べた。そしてチェックアウト。6時45分に出発した。肌寒い朝。雨上がりのキチンとした朝だった。7時30分、サークルK今治片山店に寄り買い物をした。食料調達というよりも両替をしたかったのだ。

7時45分、五十六番札所泰山寺到着。週末土曜日のせいか参拝客、遍路が数組いた。そして托鉢している人もいた。土日はそういう托鉢遍路が多いように感じた。この日もこの札所だけではなく国分寺でも見かけた。週末は効率がいいのだろうか、なんて考えていた。

56番札所泰山寺にて「同行二人之愛」のお札
(56番札所泰山寺にて)

8時05分出発。遍路道を歩く。蒼社川につきあたる。渇水期には川の中を歩いたという旧遍路道があるけれど、通れそうになく右折し橋を渡る。橋を渡り少し行ってまた右折、途中から左折して次の札所五十七番栄福寺に着いた。8時40分。栄福寺も歩き、自転車、車、数組の遍路がいた。

ここの足腰のお守りは有名らしくてひとつ買った。それから9時20分出発。ここから海抜約300メートルの作礼山の山頂、五十八番札所仙遊寺に登る。犬塚池から徐々に高度を上げてゆく。県道を渡り遍路道を行くと再度県道に交わるのだけれど、そこからの急登が長かった。山門をくぐって本堂までの階段もさらに急になっていて、途中会った地元の人から「山門に荷物を置いて行ったほうが良い」と教えていただいた。仙人が遊ぶ寺、名前の由来は下に引用した通りだ。

その昔、仙遊寺には阿坊仙人が住んでいました。仙人は仙遊寺の諸堂を整え、天智天皇(662〜672)の御代の頃から、約40年間修行をしていたといわれています。しかし養老二年(717)のある日、雲と遊ぶかのように、こつ然と姿を消し、いなくなりました。
この出来事から、のちに仙遊寺という寺名になったと伝えられています。

仙遊寺の伝説|四国霊場第五十八番 作礼山 仙遊寺 公式サイト

結局、荷物を山門に置くことも出来ずにそのまま担ぎ上げた。階段の途中に荷物が置いていた。境内で会った女性のものだった。その人も山門は車道も近いし、ということでそこまでは担いだそうだった。

9時50分仙遊寺着。宿坊、足湯もあるということだった。登りはきつかったのだけれど、ホテルに泊まったことが良かったのか、朝食をたっぷり食べたのが良かったのか、まだ元気だった。その女性遍路と少し話す。彼女は2度目だそうで、最初は全て歩いたそうだけれど、今回は電車やバスもあり、ということだった。

58番札所仙遊寺にて阿坊仙人石像
(57番札所仙遊寺の阿坊仙人像)

10時15分出発。今度は長い下りだった。作礼山を越した。吉祥禅寺で少し休憩。それから市道を通り、国道196号線交差点に出た。ぐるっと回ったのだけれど、今朝いた今治市内からは電車で1駅、距離で4キロほどだけだった。長い旅を終えた感じがしたのだけれど。

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