文殊院と札始大師堂(32日目の2)

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四十七番札所八坂寺を14時30分に出発した。すぐに別格第九番札所文殊院がある。四国遍路の元祖と言われる河野衛門三郎の菩提寺で、彼の屋敷跡とされている。その衛門三郎の伝説については以下のサイトに詳しく説明されている。

衛門三郎 – Wikipedia

「ぎゃくへんろみち」と刻まれたへんろ石
(「ぎゃくへんろみち」と刻まれたへんろ石。「ぎゃく」というのが珍しい。衛門三郎ゆかりの地だからだおうか)

焼山寺を少し下ったところに杖杉庵というのがあるのだけれど、そこは衛門三郎が21度目の遍路の途中でやっと弘法大師に会うことが出来た場所であり、彼が亡くなった場所でもある。杖の杉、杖杉庵の由来は、衛門三郎の金剛杖が杉になったということからだそうだ。その21回目の遍路は逆打ちだった。要するに巡礼しているお大師様に会うためには逆に回るほうが絶対的に確立が高くなるということ。逆打ちをする人の多くの遍路もその理由からなのだろう。

文殊院から1キロと少し歩くと札始大師堂がある。弘法大師の後を追った衛門三郎がお大師様に自分がお参りしたことが分かるようにとお堂に「せば札」という札を貼り始めたそうです。それがこの大師堂で、そして現在の「納め札」の始まりだそうだ。

この日、文殊院にはツアーでの巡礼客が大勢来ていた。札始大師堂はコースには入っていないのか、駐車場もないのか、静かに佇んでいた。遍路道が県道40号になると、車の通りも多くなり文明の香りがした。重信川に架かる久谷大橋を渡る。雲の間からは光が差していた。空腹、しかし今日もまた時間に追われていた。17時にどこにいるかが問題なのだ。

15時45分四十八番札所西林寺到着。この日は大師堂の落慶式があったらしくて、新しい大師堂はその名残を残していた。16時10分出発。県道を通ろうかと考えた。その方が近いように思った。時間、距離、遍路を終えて考えてみれば、なんと些細なことでこの身体を痛めつけていたことかと、思った。

いや、人生のほとんどは、そのことで思い悩む、そして患う。そこを考えなければ、かなり楽に生きられる。

また夜がそこまでやって来ていた。

西林寺の水子地蔵尊
(西林寺の水子地蔵尊)

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