十夜ヶ橋(30日目の2)
11時少し過ぎに大洲市街地に入った。雨は止んでいた。青空も少し見えていた。ダイソーに寄った。膝サポートが欲しかったのだ。痛いほうだけではなくて、右側にも着けていないとバランスが悪いように感じて一枚買った。身体を拭くシートタオルも買った。11時30分、かば忠飯店。中華料理屋さんだ。「ランチ600円」につられて入った。久しぶりの暖かい食べ物。美味しかった。歯は少し痛むけれど、膝は日に日に良くなっていくのが分かった。
(十夜ヶ橋の野宿大師)
11時55分出発。大洲市内を抜けて12時30分、十夜ヶ橋着。別格八番正法山永徳寺がある場所だ。
十夜ヶ橋について昔、弘法大師が行脚のおり、この辺りにさしかかった時、日が暮れてしまい、泊まるところもなく空腹のまま小川に架けた土橋の下で野宿をされました。その折に、一夜限りとはいえ夜明けまでの時間が十夜の長さに感じられ「行きなやむ 浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋と思ほゆ」と詠ったことから十夜ヶ橋と名がついたといわれています。
この橋の下は野宿の聖地だ。野宿が公認されている場所でもある。そして泊まるためのゴザまで貸し出している。
そういうことなのだ。弘法大師空海と言えども泊まるところもなく空腹に苦しんだのだ。野宿が楽しいはずがない。熟睡するはずがない。慢性的な睡眠不足と空腹感、極度の緊張感と疲労感が精神を欲求から遠ざける。肉を食べないのではなくて、食べることが出来ないのだ。争いの心を捨てるのではなくて、争えないのだ。そこを知ることが歩き野に眠り歩くことなのかもしれない、と思っていた。
少しの間、そこに横たわった。野宿をすることの有効性とか正当性とか、何かを得たり脱したりできるという信憑性なんてものは分からない。だけれども、地面に身体を横たえて、土のにおいを嗅ぎ、野の花の下から景色を見る、そして自然の中に身体を預けるということ、それは生きるということの普通の型のようにも思う。
それもまた「旅」なのだと思う。遠く旅をして、ホテルのベッドで眠るだけでは分からない世界を旅することも、あるいは必要なのかもしれないと思う。
十夜ヶ橋では涙が自然と流れる、と思う。それまでの野宿の想い出が一気によみがえる。そして1200年前の時間を飛び越えてしまう。宗教の普遍性とは、そういった一体感みたいなもの、なのだろう。人はいつも苦しむ。そしてその苦しみから解放されることはない。
13時、野宿飴を買って出発した。
(手造りの布団をかけてもらっている十夜ヶ橋の野宿大師)