見残し(25日目の1)

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夜の雨がボクの身体を新しいものに変えてしまったようにも感じていた。疲労と睡眠不足の身体はいつも前日を引きずっていたのだけれど。津呂からまだ1日、レストラン水車から2日、あの浮津海岸から3日しか過ぎ去ってはいなかった。車で数時間の距離は歩いて3日、記憶ではさらに長いものになってしまっていたのだけれど。

5時30分起床。愛知のおじさんのテントからはご飯の炊けるにおいがしていた。しばらくその3日間のことを考えていた。6時にトイレ、洗顔。コーヒーの朝食。芝生の広場を見るとモンベルの新型テントクロノスドームが張られていた。傍に自転車。昨夜到着したのだろう。コーヒーを飲んでいるとそのテントの住人が顔を出した。「おはようございます」とその青年は言った。「おはよう、雨大丈夫だった?」「はい」と少しだけ話した。

それからテントに戻って撤収。おじさんに「先に行ってますね、また追い越してください」と挨拶。
6時45分出発。ゆっくりした出発になった。そして歩いているとおじさんに抜かれた。20分後ぐらいだった。もう会うことはないだろうと思った。

自転車遍路のおじさんの後ろ姿

(さよなら自転車遍路のおじさん)

7時20分、爪白海岸、足摺海底館。寄り道をした。
「見残し」とは弘法大師空海が八十八番札所をつくる際に、この景勝地を見ることなく行かれたことからその名前がついたと言われている。ここだけではなくて、多くの景勝地、観光地を遍路たちは見残している。例えば桂浜にも行かなかった。はりまや橋も行かない人も多いだろう。歩き遍路にとって100メートルの距離さえが遠く感じる。

延光寺への月山神社・宿毛経由は他のルートよりも20キロメートル長い。その長さが寄り道をする余裕を奪う。ボクもずいぶん迷ったのだけれど、見残すことにした。それでも足摺海底館の遊歩道には立ち寄った。そこにも奇石があって、そして見残した弘法大師のかわりに仏足石と錫杖が置かれている。

その仏足石と錫杖が対岸の見残しを見ている。遠く昔の名残…人の優しさ。そしてそれは自慢というよりもやはり「お接待」なのだろうと考えていた。「どうぞご覧になって下さい」というような…。なぜだか泣けてきた。

弘法大師空海もまた、見残したのではなくて、肉体的な時間的な余裕がなかったのだろうと思った。

海岸にある錫杖と、その背景に見残し海岸

(爪白の錫杖、遠く見残し)

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