らっきょうの花が咲く頃(22日目の1)

◁前へ 目次 次へ▷

小雨の降る朝だった。
いずれにせよ動かないと食糧もなかったし、起きた時点でお腹も空いていた。「腹減った~」と叫んだ。

6時30分起床。
7時、テント撤収。と、同時に昨日のホームレスと思ったオジサンが登場した。それも車でだ。「おはよう」とかなり大きな声で言った。「あ、おはようございます」と、ボクは少し驚いて挨拶した。「よく眠れた」と訊いてきたので「はい、雨で少し寒かったですけれど」と答えた。「56号線じゃなくて、道の駅から右の道の方が近いからね」と教えてくれた。ボクは知っていたのだけれど「あ、そうなんですか」と知らないふりをした。

そうすることが正しいことのように思った。オジサンは「そうなんだよね。普通は56号線を通るんだけれど」と近くある案内板の所までふたりで行って、それに載っている地図を指さしながら教えてくれた。

雨の大方へんろ小屋

(大方へんろ小屋)

「ありがとうございました。助かります」と言った。
「ああ、気をつけてね」と、オジサンは車に乗ってどこかへ行った。そのことを言うために来たのだろうか、と思った。ボクは、オジサンを「ホームレスかなあ」と思ったことについて、「悪い」という感情よりも「しかたないよね」と、そう思われるような風体とか態度とかを、少しおかしく感じていた。

 

海の近くだから「漁師の人かなあ」なんて考えていた。

7時30分出発。膝はまだ痛かった。それでもほぼ3日停滞したおかげでかなり治っているようにも思った。

8時、道の駅ビオスおおがた着。「ひなたや」で買い物。近くのベンチで弁当の朝食。近くに「七立栗」だったか、1年に7回も栗の花が咲く場所があって、温泉を掘り当てたのを機に「お遍路さんに立ち寄ってもらえるか」というアンケートをとっている女性に声をかけられた。まだ20代前半の高知弁ネイティブスピーカーだった。

高知を歩いていたとしても、そうした地元の人との触れあいはほとんどなかった。民宿を利用して歩き続ける遍路のほうが、地元を理解するのかもしれないと思った。食べ物にしても、地元の名物料理が出るだろうし。かといって毎日カツオのタタキもあきるだろうけれど…。

道の駅から十数キロというその七つ栗温泉、いくら弘法大師ゆかりの地とはいえ、歩き遍路にとっては、番外札所でもないし、「行く人は皆無だろう」と答えた。1キロ遠回りするのも疲れるのに…。

それから少し話をして、弁当を食べ終わると「それじゃあ、行きますね」と、別れた。

9時30分、海のバザールで休憩。雨は小降りだけれど降っていた。細く降っていたのだけれど、それでも歩いていると菅笠やレインジャケットには水滴として溜まっていった。

雨に濡れているらっきょうの花

(らっきょうが有名なんだろうね、花が咲いていました。)

◁前へ 目次 次へ▷

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA