リタイア(19日目の1)

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「三里の精神」
ゆったり
のんびり
じっくり

遍路小屋のノートに書いてあった。それが難しい。特に高知は寺と寺の間の距離が長いので、ついつい無理をしてしまう。そして故障をしてしまう。ボクのように。

鹿島が浦から見える鹿島

(鹿島が浦にて 鹿島)

小屋のすぐ横に駐車したトラックの音と排気ガスで熟睡も出来ずに5時起床。缶コーヒーを買って飲む。スナックスティックパン9本入りの朝食。それから片付けを始める。パッキングを済ませた。膝は昨日の朝よりも痛んだ。立ち上がる時には痛みで声が出る。そして一歩を踏み出すのに勇気がいる。

 

6時20分、名古屋から来たという66歳のおじさんが小屋を訪れる。高知まで打ち終えて1度帰宅したそうだ。そして再度高知からの始めたということで、前日は40キロを歩いて、佐賀温泉から金剛福寺までの70キロ強を2日、1日35キロを歩く予定だということだった。

「名古屋ですか。ボク、豊田とか田原にいたことあるんですよ」と言った。
「ああ、そうですか。仕事かなんかで?」
「はい、トヨタに」と、トヨタのことなんかを少し話して、遍路小屋の写真を一枚写してから出発していった。

その日はなかなか動き出せなかった。立ち上がると激しく痛んだ。グズグズ悩む…。

7時30分、出発。暖かい日だった。そして湿度も高かった。降水確率50%というメールが入る。「雨かもしれないなあ」と日記。伊与喜から熊井隧道経由で56号線に出る。

9時46分、スリーエフ佐賀店。バラエティサンドを食べて休憩。ドリンク剤も飲む。ビタミンを補給したところで、あるいはタウリンを補給したところで、膝の痛みに効くかは疑わしいと思った。

10時10分発。
10時40分、佐賀横浜トンネル出口で休憩。もう限界かもしれないと、思っていた。誰かタオルを投げてくれれば、そのまま帰りのバスか電車に乗ったかもしれない…。

Kさんが来た。「あれ、遅いですね」と、7時半に出発したボクのほうが後を歩いているものとばかり思っていた。
「ああ、佐賀温泉、朝食が7時30分からで、知らなくてね、きのう頼んだので、食べてきた。他の人は、朝食なしで早出したみたいだよ」
「そうでしたか。そういえば6時頃に名古屋からという人と少し話しました」
「そう。今日は?」
「どこまで行けるか、中村市街地(四万十市)まで行きたかったのですけれど」
「ちょっと長いけれど、それぐらいまで行かないと、明日もキツイよね」
「そうですね」
「じゃあ、先に行ってるね」
「はい、ボクは少し写真を写して行きますんで」と、ボクは言ったのだけれど、Kさんは聞き違えたのだろう「写真?良いよ」とポーズを取ったので、「あ、ありがとうございます」と数枚写した。

「写そうか?」と聞いてきた。
「え、ボクは…、ありがとうございます」と言った。
「じゃあね」「はい、また」

と別れた。

Kさんの写真がある。あの日の写真。ボクたちはあの瞬間から、もう会うことがなかった。そして恐らくもう二度と会うこともないのだろうと思う。ボクには分かっていた、その瞬間が最後だろうということが。それほど膝は痛かった。あとはどこで止まるか、そしてどうするかを決めなければと思った。悲しかった。

Kさんの後ろ姿

(さよならKさん。この時が最後になりましたね)

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