日和佐にて(8日目の3)

日和佐、薬王寺で考えていた。遍路とは歩くことなのだろう。そして迷うことなのだろう。探し求めて苦しみ、その先にある暗闇にすがる。夜は来る。そして朝も来る。

日和佐

雨は止んでいた。日和佐に着いた。23番札所薬王寺で「発心の道場」徳島県の23札所を打ち終わり、長い室戸行きが待っていた。ひとつの節目。よく分からないまま200キロほどを歩いてきた。そして迷ってきた。何かが見えてきた、とか、何かが分かった、なんてことはなかったし、ただただ前へ先へと足を繰り返し動かすような日々だった。そのことは、例えば、ライン作業のように感じた。繰り返されることの苦しみや痛み、それを思っていた。

薬王寺には14時に着いた。長い停滞や田井ノ浜でのシャワーが到着を遅くした。中途半端な時間だった。日和佐の市街地、薬王寺近くには宿泊施設が多かった。素泊まり 2500円の宿、善根宿や道の駅もあり「発心の道場」最後の札所、これから向かう「修行の道場」へのさながらターミナルのように感じた。そこでこれから始まる長い旅路への準備、あるいは、傷を癒合させる聖地のようにも感じていた。

薬王寺の参道を行く遍路たち 日和佐にて

高野山真言宗 別格本山 薬王寺

また空腹

14時30分。また迷っていたし、決められないでいた。空腹感、飢えという感覚がボクを前に進める。サンクス日和佐店に入った。非常食も底をついていた。買い物をしたボクは反対側にある道の駅に渡った。日曜日の道の駅は混雑していた。そのことがボクを前へ進めた。少し行くと「どさん子ラーメン」があった。ボクはそこでも少し迷ったのだけれど、そして少し通り過ぎたのだけれど、戻って店内に入った。

カルビ丼セット650円を注文した。その店の男の子はボクのその姿を見て、少し戸惑ったようであった。押し込められた思いが、その目の奥に好奇心となって凝縮されているように感じた。ボクも、戸惑っていたし、沈黙していた。注文したものが早く来ることだけを考えていた。

カルビ丼セットは、ボクが想像したとおりだった。その味やその量、温もりにおいて。そのことがボクを安心させたのだけれど、子供の好奇心はどうすることもできなかった。ボクは満腹になって、そして店を出た。室戸へ向かった。

"どさん子ラーメン</p

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