山路を登りながら

お昼前に起床。インスタントラーメンのブランチ。雨の予報を覆す青空。布団を干す人もいる。13時ごろ突然の雨。何人かは布団を濡らしてしまう。どうしてやることも出来ず。13時30分のぐるりんバスで田原市内へ向う。田原ウォーキングコース「城の道」を歩く。田原駅でバスを降り、コース起点の城宝寺へ。渡辺崋山の墓所である。崋山の墓へ参る。ボクの他に誰も見当たらず。静寂。

崋山神社と鳥居

このコースには城宝寺をはじめ、田原まつり会館、崋山神社、崋山会館、田原市博物館と田原を知る施設が多く存在します。田原城惣門跡を通り中小路に、そこから見えた蔵王山にすこし驚きました。写真は崋山神社鳥居から見た神社と蔵王山です。

「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」とは漱石の有名な「草枕」の冒頭です。確か熊本市内から天水というところまで歩いたときのことでしたね。漱石が歩くとこのような名文句が生まれるのですが、ボクなどが歩いてもなかなか文句さえ出てきません。

期間従業員の人たちを、ボクは時々求道者のように思うときがあります。かなりの時間を内省に費やしていることも確かだと思いますし、寮と工場の往復という生活ですから、余った時間がそうさせるということもあるでしょう。寮に住み、いろいろな制約を受けるということも、禁欲生活を強いられる修行僧のようでもあると思います。

また、お金を貯めるという目的、あるいは送金するために、禁欲的な生活を自らに課しているということもあるでしょうし、そのことがそのまま自分の支えていると思います。
語りかける相手がいない休日。山路を登らなくても、寮にいて、あるいは買い物に出かけても、それは漱石の峠越えのようなものでしょうし、座禅のようなものかもしれません。

それでもそのほうが良いと思うのは、話しかける相手を作ると、というか、ひとりのほうがお金がかからないですから、それに「住みにくい」人間関係を避けているのかもしれませんね。そのことはなにも期間従業員だけではなくて、社員の人にも言えることなのですが。

自分への問いかけ、「なぜ自分はここにいるのか」というのが一番多いかもしれませんね。「なぜ」それを支えるのは何度も書くようですが「お金」であって、「家族」だろうと思います。誰とも話さなくても、きっと喜ぶ顔が違うところにあるのだろうと思います。

そんなことを歩きながら考えたのですが、そういえば期間従業員って山登りににていますね。頂上まで6ヶ月かかる登山でしょうか。ベースキャンプが実家であり家族の待っている家であり、頂上を目指すアタックキャンプが寮ですね。今は風も雪もひどくて、わずかな食料で揺れるテントの中で頂上を目指すわけです。

一歩一歩、黙々と歩きます。テントと食料を持っての高山ですから、かなり遅いのです。ポーターもいませんからね。でも確かに頂上には近づいています。荷物も日々軽くなっていきます。テントを設営するのも、食事の用意も早くなりました。高度にも適応していくことでしょう。あと少し。

なんて考えました。新田次郎の「孤高の人」を読みたくなりました。もう寝ます。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA