隣人の消息

昨夜の田原寮、ボクの住んでいる階は、いつもとは少し雰囲気が違っていて、それが何故なのかは分からないまま、一直前夜の眠れない時を過していました。

なぜだか落ち着かない夜。原因は静けさにありました。ボクはあまりの静寂さに、逆に興奮していました。原因の究明に少しばかりの貴重な時を費やすのは、さほど惜しまれることでもありませんでした。と、ボクは薄いほうの壁に耳を当てて見ました。そこからは何の生活音も、そして人の気配もしませんでした。ボクは興奮は不安になり、更に鼓動は高まりました。


陽はまた沈む

そうなると、もう後は確かめるだけ。ドアを開けて、隣の部屋のドアの前に行く、名札を確認する。ない。その後、玄関までいって、さらに名札を確認する。ない。

隣の人は、きっと任期満了して寮を出て行ったのでしょうね。金曜日一直だった彼は、帰ると引越しをほぼ済ませて、少しの着替えを残して、土曜日の夜を過して、そして日曜日に静か過ぎる旅立ちをしたのでしょう。

そう言えば夕方、掃除機の音がしました。あれが隣人の最後のトヨタ期間工としての作業だったのでしょう。

隣は何をする人ぞでも彼のことを書きましたし、「ドアを静かに閉められないものか」と思ったこともありましたが、今こうして誰もいない隣室のことを思うと、ボクの暮らした半年間という思い出の、特に休日の思い出には、彼の音があったのだと懐かしく思っています。

そして、ボクが来たときにいた人たちの多くは、いなくなっていて、ボクが何番目かに古い住人になっていることに気がつかされました。組の名札もそうです。一番下にあったボクの名前が今では上のほうにあって。

よく「長生きするもんじゃないよ」と老人の言葉を聞くことがあります。その理由として、友人や知人を見送ることが多くなることがあるのでしょう。なんとなく、そのことが、少しだけ分かるような気がしました。知り合いも少なくなる、その分思い出ばかりが多くなるのですから。

1件のコメント

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    豊橋 暮らしやすい街

    こんにちは、管理人です。 今日は、わたしの住んでいる町、豊橋に…

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