ワールドカップ

ワールドカップの決勝はイタリア対フランスになりましたね。どちらの国も芸術や音楽、ファッションなどに造詣の深い国であり、歴史や文化のある国ですね。開催国ドイツにしてもそうです。そしてそのことが車造りにも現れているように思います。フェラーリやランボルギーニ、フィアット、アルファロメオ、シトロエン、プジョーにルノー…なんて、どれも独創的なデザインです。それはやはりファッションや芸術と言っていいものでしょうね。

蔵王山
蔵王山

予選突破できなかった日本はどうでしょうか。トヨタ、日産、ホンダ、マツダ…。レクサスはどうでしょうか。どうもヨーロッパの車とは違った感じを受けますよね。

確かに品質は安定していて確かだろうし、アフターサービス(ビフォーサービスも)しっかりしていて安心できると言ったことに関しては、それらの国の車に負けないと思います。そして作るひとの倫理観も世界一でしょう。

ところが車、特にそれらのメーカーの技術の粋を集結しただろう高級車については、品質の安定やサービスだけが購入意欲につながるのだろうかと思っています。

レクサスは所謂富裕層を対象にしているそうですが、お金持ちがそれらの理由だけで車を買うとはどうも思えないのです。昔ですと輸入車は故障が多くて、部品もなかなか入手できない、と言われた時代がありました。しかし、それでも外車に乗っている人はいました。

富裕層にとっては、故障やサービスなんて本当は眼中にないのではないかと思っているのです。「故障したら、もう一台のBMWに乗るもんね」なんて言える人が富裕層ではないのでしょうか。「サービス?車の自販機があれば良いのにね。うざったくないし」なんて思っているのかもしれません。それが富裕層でしょう。

「こんな高いものを買うのに、故障したらどうするんだよ~。そん時はお前らちゃんと保障してくれるんだろうな~、え?え?そこんとこハッキリしとけよ。な~んだ、このお茶ぬるいじゃないかよ~、よ~」と凄むのは、ま、ボクのような貧乏人で、今まで新車なんて乗ったことがない人っだったりすると思うのですが?

レクサスが他の高級車と同じように語られるのには、やはり歴史という時間も必要でしょうし、車に対するこだわり、レクサスらしさということも大切なのでしょうね。

高級という意味は独創的だったり、個性的だったりするもののほうが当てはまるように思います。それは、やはり芸術の世界、絵画だったり陶器磁器だったり、音楽などにも通じるものでしょうし、日本人だって刀やお茶などに見るそういった感性ってのは、かなり歴史を経て熟成されていると思うのですが?

武士の心である刀は、やはり大量生産のものではなくて、備前長船とかの一品物を好みましたからね。車をかなり神経質に磨いているのを見る度に、刀を手入れしているサムライの姿を思い浮かべるのは…きっとボクだけではないはずです。

休日なのに、ウダウダとこんなことを考えて「そうだ」なんて思っているボクは、やはり貧乏(性)なのでしょう。さて、ミマスにでも行ってこ。

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