母の日(2)

「赤ちゃんポスト」という呼び方は、どうも違和感がありますよね。何かどこかに送るような感じがして。投函するというか、投げ入れるというのがポストでしょうから。正式名称は「こうのとりのゆりかご」これを使えば良いのに。

夕暮れに街を歩くと、正面の西日にふと幻を見るのだよ。
それは形というよりも色の風景。誰しもが経験したことのあるオレンジ色の寂しさ。母親の背中で見たあの街の思い出。母親の姿を探した夜の前の思い出。そして一番幸せだった頃の自分のことなんかが、ふっふっ、と、眩しさの向こう側に見えてくるのだよ。

母親と子供の関係というのは、男には分からないものがあるらしいのですが、そうだとすると「子捨て」ということは、ボクが思っているほど簡単にはできないことなのでしょうし、こうのとりのゆりかごに子供を置く母親が果たしているのだろうかと、思ってしまうのです。
逆に姨捨ということが過去に行なわれていたということなのですが、この場合は捨てられる母親に意思があるので、捨てられるというよりも協議の上の自殺のようでもあり、結局は母親の子供への愛情なくしては出来ないことだと思います。
そもそも子供を産むということ自体、尋常ではない痛みを乗り越えるという決意のもと、母親は生命を賭けているのですから、やはり並々ならぬ愛情がなければできないことだと思っています。命を賭けて産んでくれて、命を賭けて育ててくれて、そして最後には命を捨ててまでも守ってくれる。
母親は子供のために生きている、と思っています。
好きで子供を捨てる親なんていなくて、それどころか、好きで子供に捨てられるのだから…。
「母親と疎遠になっている」と今朝のエントリー「母の日」で書いたのですが、実はもう何年も母親に会っていないのです。ボクは、母親を捨てたのだろうと思っています。家族、兄弟、親戚なんてもの全てと縁を切っていますから…。
それはボクが選んだことですから、後悔していないのですが、それにそういう選択が最良だと思っていたし、今も思っているので、ボクの気持ちの中では整理がついているのですが、きっと、母親は、こんな息子でも、そしてその息子の思い出さえも捨てられずにいるのだろうなあ、なんて思っています。もしも、もしも仮にこうのとりのゆりかごなんてものに、子供を置いたとしても、結局は思い出、悲しみ、なんてものを捨て去ることは出来ないのだろうし、そんな「思い出ポスト」なんてのも出来ないだろうと思っています。
そしてボクも、こんなに、一日中、思い出を手繰り寄せている、ボクの母の日も、それはそれで、母親への愛情だと考えているし、そのことは、きっと、母親も分かっているだろうと、思っています。

9件のコメント

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    muko47さん、おはようございます
    う~ん、50人ぐらいの増減は、よくあることだと思っていますが?ボクの時やその次の週は300人を超えていましたし、年齢が上がっているという印象もなかったです。
    でも、ま、おっしゃられるように、労働力不足、特に若い世代の不足という現象はやてくるでしょうけれどねえ。
    そのために海外工場での生産率を上げるということを行なうでしょうし、輸出による貿易黒字に対する批判もあるようですから、トヨタとしてはそういった中長期的な計画は徐々に、というか、既に進んでいて、指導者の育成(トレーナーズトレーナーのような)が急がれているのではないかと考えています。
    社員登用数のアップは、人員確保というよりも、社会的責任って意味が強いような。アピールですね。ですから、賃金は、どうなんだろう、上がりそうで上がらないのかもしれませんね。
    組合も組合員の賃金アップは要求するのに、期間従業員のについては知らん顔ですからね。

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    muko47です。
    今日の夕飯なんですが、田中清風の食堂に行きました。新入寮者の中に、去年同期で入ったスパイラルの知り合いが居たからです。
    今回の受入れ人数は250人だそうです。去年の同時期、僕らが来た時には300人を越えていたのですが、少なくなったのは少子化と団塊世代の退職が影響したのでしょうか!明かに20代前半と思える若い人達の比率が減り、平均年齢が上がってるんです。たった1年でこんなにも変わるんでしょうか。
    トヨタ車自体の国内生産量も減ってるんでしょうが、人員確保の為に社員登用者数のアップだけでなく、期間工の賃金アップなんてのも考えてくれたらなー・・!

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    名無しさん、こんばんは
    えっと、この記事を書く前に、そのような人がいるということは思っていました。親のいない人や、捨てられた人、ボクたちが経験したことのない人生を送った人たちがいることを、考えていました。
    「何もかもが柔らかく暖かい真綿にくるまれた様な感触」の施設での日々、それはきっと親御さんご自身で育てられるよりも、そこの生活のほうが良いと判断したのかもしれないと、思ったりもしています。
    結局は、その選択をしなければならなかった、親御さんも辛かったのだろうか、なんて考えていますし、その施設を選んだのも、親御さんの愛情なのかなあ、なんて思っています。
    貧しさが平等にあった時代だと、もう少し優しさに触れることも出来たのだろうし、そのいろいろな格差というものも感じずにすんだのでしょうが。
    でも、ご結婚なさって、お子さんも生まれて、そして親になって、そんな経験が為になるなんて嘘みたいなことは言いませんし、経験なんてしなきゃしないで良いことですが、きっと、お子さんに何かが伝わるのだろうと、思っているのですよ。
    それは、こうして母の日を違った感じで受け止められる力というか、視線というものだろうと思っています。
    初めから「こうのとりのゆりかご」なんてのは存在しないほうが良いのかもしれないですね。
    えっと、「暖かい投稿」…、名無しさんの投稿で、もっと親について考えることが出来たと思っています。

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    幼少の頃(3・4歳)、僕は 1年ばかりを養護施設で過ごしたことがあります。僕の生まれて以降の最初の記憶はその施設から始まっているんです。
    そんな訳で幼かったその時の僕には親とか兄弟とか云うものは理解できず、その言葉自体、存在しなかったのです。
    事故で親を失ったとか、家の事情で引き離されたとかいう子供たちが僕の兄弟であり、面倒をみてくれていた養護員の方たちが親だったんです。
    記憶の中の施設での生活は、辛いものでも苦しい物でもなく、何もかもが柔らかく暖かい真綿にくるまれた様な感触。色でいったら黄色味がかった橙色でした。(慈しみの愛情で護られた)
    その後、幸運にも(その時の僕には判断のしようもないのですが)僕は家族の元に戻された訳ですが。親の愛情という大事なものを注入されることなく育った子供の僕が、新しい環境にスンナリと馴染める筈もなく、鬱積した気持ちを奥底にしまいこんだまま青小年期を終え、はた目には醒めた子供、マセた子供と映っていたのかも知れませんが、真実はキズに触れらることに臆病だった子供が壁を造っていただけだったんです。
    僕がスネルのみでグレルことなく成長したのは貧しさゆえと、僕ら弟や妹の為に自分を犠牲にし、苦労をしてきた兄や姉の存在が在ったからでしょうか。
    しかし、貧しいというだけで子供だった僕らは、どれだけ傷付いたことか。学校の先生にさえ理解されず、学友らの前で突き放され谷底に落とされもしました。そうしたうちに小さな心は少なからず有った《羞恥心》さえ奪われて《失望感》で一杯になっていました。
    子を持つ親になった今でこそ、小さかった頃の僕を施設に入れた、その時の両親の気持ちを理解することが出来ますが、それでも正直釈然としない部分があるのです。
    10歳の時に結核で他界した母を、母が他界した後、6人もの子供を男手ひとつで育てた父を、愛したくても愛せなかった僕が《生きる》こと《愛する》ことに疑問を抱きつつ育ったのは変わり様のない事実です。何度、小さいながらも自分の置かれた境遇を恨み、死にたいと考えたことでしょう。
    人が子を産み、育てるということには それなりの責任感がなければいけないんです。我が子を愛するというのは生む以前、生まれる以前から始まるんです。そうでなければ僕の様な親を愛せない人間も出来てしまうんです。
    皆さんの暖かい投稿の中にこんな暗い内容の文が割り込んでしまい済まなく感じますが、吐き出してしまいたい想いに駈られ投稿しました。

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    とこさんん、こんばんは。
    親って、そうですよね。
    ボクの父親も、入院生活が長かったのですが、見舞いに行くたびに「ちゃんと食べてるのか」とか「食べていけ」とか、いつも言ってました。自分の食事やお見舞いに貰った果物とかも、「食べろ食べろ」ってね。
    過保護っていうか、子離れしていない親御さんのほうが、ボクは良いと思ってるんですよ。そういう親密な人間関係だと思えるから。
    きっと、いくら恋人だとか言っても、結局最後には自分がかわいいってことになるのかもしれませんが、親はなにがあっても子供のためとおもうのでしょうね。裏切られることもないでしょからね。
    えっと、親との連絡もしないボクが言うのもなんなんですが…。
    ありがとうございました。

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    こんばんは
    >蘭さんへ
    お久しぶりです。
    母の日は…?
    ボクは、えっと、男ですから、よく分からないのですが、きっと、母親と子供という関係は、なにかでいつも繋がっていて、母親には目に見えないものや聞えない音なんかが、聞えてくるのかもしれないですね。
    きっと、そうなんだろうと思っています。だって、身体の一部だったんですもんね。
    またコメントして下さいね。
    >もさんへ
    こんばんは。今週は研修ばかりなので、ま、ゆっくりスタートするといいかもしれませんね。
    えっと寮費、高熱費、水道代すべて無料です。部屋の大きさ、つくりは、今おられる田中和風寮と同じようなものです。
    明日朝は健康診断ですね。早くお休みになって、血圧や心臓の数値が上がらないようにしたほうが良いかもしれないですね。では、また。

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    今回の「母の日」の2篇のブログ、涙腺を刺激されました。
    私の母はお陰様で健在ですが、母の無償の愛に甘えっぱなし
    で何一つ親孝行していません。
    トヨタで期間従業員満了後も名古屋に残り、気ままなバイト暮らしをしながら一人暮らししていますが、そんな私を心配して毎日のように母は私の携帯にメールを送り、食べ物に困らないように家で取れた野菜や米をせっせと送ってきてくれます。
    母の日の今日も私から母に電話をするのが当然なのに、母から私を心配する電話がかかってきました。
    ある意味私が家を離れる気になったのもこういう過保護からの自立という意味もあったのですが、自分も30を超え、母も70近くなってくるとこれだけ捨て身で、何の見返りも期待せずに自分を愛してくれる存在は世の中には存在しないということをヒシヒシと感じるようになりました。

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    今日出社して現在、田中和風寮でゴロゴロしてるものです
    初めてだけど同室?の方々と話せてすこし落ち着きました
    寮費は無料らしいですけど、高熱費とか水道代も無料なんでしょうか?
    入社案内でも言及されてないし・・・

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    きっとお母様は判っていらっしゃると私は思います。何故なら我が子だからです。
    (突然失礼しました。前回motherでコメントさせてもらいました。)

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