母へ 母の日に考えたこと

母の日に考えたこと…。

ボクにも母親がいて(えっと、当たり前ですね、ボクが存在してるのだから)、実家で、たぶん、ひとり暮らしをしています。母の日や母親の誕生日には、特に昔のことなんかを思い出しますね、いくつになっても。

エディプスコンプレックス

エディプスコンプレックス1というのがあって

母親を確保しようと強い感情を抱き、父親に対して強い対抗心を抱く心理状態の事をいう

ことで、こういった母親への愛情が父親への憎悪みたいなものに変わった経験は、特に男性にはあるのではないかと思っています。

一輪の白い花
母の日もだけれど、きっと誕生日に祝ってもらうほうが、もうちょっと嬉しいと思うんだけれど?どうなんですかね?

ボクも、きっとそんな感情を持っていました。そして、父親とはうまくコミュニケーションを取れませんでした。

かなり長い間正面を向いて対話できない状態が続いていたのです。それでも喧嘩するといったこともありませんでした。ただ二人だけの居心地の悪さはずっと…。やっと普通に対話できるようになったのは、父が病気になって入院することが多くなった頃からでした。

父親の持つ強さが少し弱くなったからだろうと思っています。人間としてはとても尊敬していた父親でした。それに、ボクの「優しい部分」というのは父親譲りだと思っています。ただ、あの頃は、父の良い部分に嫉妬していたのかもしれません。

嫉妬と言うよりも比較してしまうと「ダメなオレ」ばかりが見えてきたのでしょうね。

父親が怒った母への言葉

ある日、母親に対しての言葉使いが荒かったことを父に怒られたことがありました。

今でもその時のことを全く憶えています。その時に父は「オレの嫁になんてことを言うんだ」と言ったのですよ。この言葉はそれからの母親との関係で、決定的なものになったのです。

父親の恋人でお嫁さんですからね。

そう考えると、母親と少し距離を置くようになって、「ボクの母親」よりも、その「父親の愛する人」を意識し始めました。もうそうなると、言葉使いや態度まで変わっていって…。

コンプレックスからの解放

コンプレックスから解放されたということなんだと思っています。今考えるとですが。

うまいこと言うなあ、なんて今も思っています。結婚して子供が生まれて、そうすると、女性は母親になって「お母さん」なんて呼ばれ始めます。それまでは名前で呼ばれていたのに、出産を境に子供主体の存在に移行します。

それはそれで母親や父親になることが、動物としての本能だし、子孫繁栄という結婚の持つ主題(主題のひとつですよ、全てじゃなくてね)ですから、当然と言えば当然なのですが、母親の前に女性であるということを意識してあげることも大切だと思うのです。

そうすると、汚れた下着なんてのは母親に洗ってもらうことを恥ずかしく思うだろうし、そして自分で洗濯するだろうしね。(「下着ぐらい自分で洗濯する」とボクは言われてましたから)それに毎年カーネーションばかりじゃなくて、気の利いた洋服とか、、ま、下着とかを贈れる、ちょっとカッコイイ息子になるのではないかと、ボクは思っているのです。

そんなことを、母の日に考えていたんです。

#ま、母親と疎遠になっているボクが言うのも、説得力もないのですが…。

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一輪のカーネーション

  1. エディプスコンプレックス – Wikipedia

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