Time is money

「時は金なり」なんて先日書いたのですが、この場合の「時」というのは与えられた時間をどれだけ有効に使うかということだったし普通はその意味でしょうね。早い遅いはあるにしても、その時間をどのように使うかということを考えることは大切だと思います。
もうひとつ、タイミングという「時」が大切な場合もあって、例えば「ありがとう」「ごめんなさい」「おめでとう」なんて言葉は時期を逃すと、少し残念な結果になったりして、とても大切なものを失すということにもなりまねませんので、これも「時は金なり」なのでしょうね。「間が悪い」なんてのも時に関することですよね。「間抜け」なんてことも。
そんな「時」なんて時間は、ライン作業の時間とはちょっと違っていて、時間という、なんていうか概念だけのものではなくて、なにか生き物のようなもので、扱い方によっては暴れたり噛みついて来たり、さらには逃げ出したり動かなくなったり…。
「超早漏時代」なんて言われていて、その時間の扱い方が乱暴になっていて、とにかく早いことがいいことだし無駄ということが悪いことみたいに語られる時代で、時間の使い方が利己的になっているとも思えたりするのですが、ボクは、そんな無駄な時間も大切だろうと思うし、その中に人の温もりが感じられたりすると思うのです。
時の情緒的な使い方(と言ってもいいような感じの)は、ものつくりにも必要だろうし、なによりも人との関係つくりにおいて、とっても大切ですよね。待つとか見送るなんて、無駄とも思える時間の中に真実のものがあったりして、実際に会ってるとか一緒にいる時間なんてのは、その結果にすぎなかったりすると思います。
携帯電話の普及がその「早漏時代」を作り出している、なんていう人もいますが、ボクは、あの新年の0:00コールなんてのは(回線がパンクするので時間をずらすほうがいいのでしょうが)そこまでの待ち時間を考えると、「いいじゃん」と思っているんです。
こうしてダラダラと休日を過ごすオレってどうなのよ、なんてちと反省している無駄な時間を過ごしているオレってどうなのよ、なんて考えてはダラダラしか出来ないボクが言うのもなんだし、こんな記事を読んでもらったことの無駄をどうしてくれるって言われても…それは泥裡(でいり)に土塊(どかい)を洗うってもんでボクには馬耳東風なので…。
今日はメーデーかあ。

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