はなとき通りの花水木
2007年10月28日
はなとき通りの花水木、あの日の花水木は赤い実を着けていて、葉も紅葉し始めていて、半年なんてのはそれぐらいの長さなんだなあ。
来年の春は、ボクはどこにいて、そして秋はどにいるのだろうか。ボクがどこにいても、はなとき通りの花水木は着蕾し開花し、そして秋になれば結実して落葉する。その繰り返し。それが時間というものなのかもしれないと、それが生命なのかもしれないと思うと、すこしだけ安心したり、すこしだけせつなかったりする。
「さようなら」とは「さようにならないこと」という。そうだとすると、思い通りにならないことが人生。きっと、さようならの繰り返しが人生。それはすでに語りつくされたこと。なにを今さらと…。そして花に嵐の頃ではない秋の日に思ったりしながら、田原市民まつりで少し賑やかな田原の街を歩いた。
明日から、また休日を待つ時間が、そして日々が始まる。そう思うと少し憂鬱になる。でも、ああきっと豊橋公園の落葉が綺麗かなあ、と考える一瞬と、その繋がりがボクの救いなのかもしれない。と、その休日を待つ時間や日々がそれほど悪くないと思えるのだけれど…。
去年と同じような、それでも少し違う、そんな風景なのだけれど、人の1年ってのも、きっとそんなもんで、去年と同じような少し違うような、そんな少しだけの変化の中に生きることってほうが、大切で難しいのだろうと、ま、思っているんだけれど。
さてと。