はなとき通りの花水木

あの日の花水木は赤い実を着けていて、葉も紅葉し始めていて、半年なんてのはそれぐらいの長さなんだなあ。
社員登用試験の日なんだね

来年の春は、ボクはどこにいて、そして秋はどにいるのだろうか。ボクがどこにいても、はなとき通りの花水木は着蕾し開花し、そして秋になれば結実して落葉する。その繰り返し。それが時間というものなのかもしれないと、それが生命なのかもしれないと思うと、すこしだけ安心したり、すこしだけせつなかったりする。
「さようなら」とは「さようにならないこと」だとしたら、さようならの繰り返しが人生ということなのだろうと、語りつくされたことを、今さら、そして花に嵐の頃ではない秋の日に思ったりしながら、田原市民まつりで少し賑やかな田原の街を歩いていたんだけれど。
明日から、また休日を待つ時間が日々が始まるのかあ、と思うと少し憂鬱になるのだけれど、ああきっと豊橋公園の落葉が綺麗かなあ、と考えると時の流れこそがボクの救いなのかもしれない、とその休日を待つ時間や日々がそれほど悪くないと思えるのだけれど…。
去年と同じような、それでも少し違う、そんな風景なのだけれど、人の1年ってのも、きっとそんなもんで、去年と同じような少し違うような、そんな少しだけの変化の中に生きることってほうが、大切で難しいのだろうと、ま、思っているんだけれど。
さてと。

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