田原市、はなとき通りのイルミネーション

そう言えば、去年の今頃、ボクは満了を迎えて、そして帰る準備をしながら残り少ない時間の中で、夕陽のことなんかを考えていたんだなあ。

トヨタ期間従業員に行こう | 離愁
窓の外にはいつも見ていた風景で、そのことがなおさらボクの気持ちを悲しくさせるようでした。もう何百回も見たその風景も見ることができないと思うと、ボクが想像していたよりも最後の送迎バスは悲しいものになりました。
Sくんと一緒に帰りました。Tさんは寮が違うのでバス停で別れました。Mちゃんは年休でした。あのね、別れるのってのはけっこう後からくるもんなんだよ。
ボクは寮の部屋に戻って、そこもいつもの風景で、思い出だけがそこいらに散らかっていて、そのひとつひとつ、例えばあの寒い日の笠山や、桜が散りそうになった春の雨の日、夏が来て同期の人たちがいなくなったあと、夏休みの18きっぷ、その後の長野や糸魚川までの旅なんてことが、まだまだ声をかければ返事をしてくれそうなぐらいで、そしてその思い出たちはこの部屋の住人となっていて、ボクの後を追いかけるのではなくて、ボクにさよならを言う役回りになってしまっていることに今頃気付いているのです。
ボクはその部屋の中で、何をすることもなく、実は、少し恥ずかしい話なんだけれど、かなりの涙を流して、そしてその涙の中に嫌なことだけではなくて楽しかったことまでも入っていて、別れの悲しみもなんだけれど、なにかが終わった瞬間の悲しみというか、ちょうど紅葉していく木々の終わりのような離愁に打ち震えていたのです。
多分ね、もう二度と出逢わない瞬間てのがあって、それは送迎バスの中で見た夕陽とか、二直の昼食の時に工場の上に出ていた月の姿なんて風景だけではなくて、その日その時のボクの心もようなんかで、別れるために出逢うような期間工たちの関係もそうなんだろうと思っています。
実はボクたちは「悲しみの素」ってのを嗅ぎ取る能力を持っていて、それを避けるように生きようと思えば生きられるようにできるのだろうと思います。それでも悲しみや淋しさというのが人の心にある限り、その「悲しみの素」から避けられないようになっているのも確かです。
出逢いなんてのも、その「悲しみの素」の一要素なのでしょうね。
「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ。」
たくさんのコメントありがとうございました。返事は明日、いや帰り着いてからになるかもしれません。ネットは明日まで繋がりますが、たぶん夕方にはパソコンも送ってしまうでしょうから…。
まだまだ書いていないことも、そして書いてはいけないこともありますから、このブログは続けると思います。こんなブログだったのだけれど、「心の支え」なんて言ってもらえると、とてもうれしく思っていますし、その言葉に泣いてしまいます。
でもね、ボクの心の支えはそんな皆さんとの出逢いでした。ありがとうございました。

そして一年後の今日、去年はなにげに通り過ぎていたはなとき通りのイルミを中央公園に座って、そして通りをゆっくり歩いてみたのだよ。
想い出の分、やっぱり悲しみもあって、生きるってことは、そんな悲しみを、背負って、そしてその重みを感じる、ことなのかもしれないと、思っていたり。
期間工や出稼ぎ労働者の悲しみは、仕事があるとかないとかではなくてね、自分の位置の不確かさ不安定さ不自然さなんてこと、行先が見えない不安な気持ちや、カードも作れない不自由さやなんかで、「延長できなかったら」とか「再赴任のハガキが来なかったら」、そして「就職はあるだろうか」なんてことばかりが、仕事中にさえ頭に浮かぶ、それが悲しいのだよ。
歳を重ねる毎に、やっぱりその悲しみは多くなる。
もう田原のイルミは今年で最後にしたいとかね。
明日はイブかあ…。
メリクリには1日早いかな。
さてと。

満月だったのだけれど、月なのか街灯なのか分からないですよね。

5件のコメント

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    >一郎さんへ
    お久しぶりです。
    昔は、結構好きで、踊ったり歌ったりで…。
    ま、今はカラオケも嫌いになってしまって…。
    田原に来られていたんですね。何時ごろだったのでしょうか。ぐるりんバスの列は、市内への人たちでしょうね。
    給料日後の休日なんかは、もうギュウギュウのすし詰め満員ですよ。ぐるりんバスって、きっとトヨタの寮生で運営できているような感じも。
    来年は菜の花まつりに伊良湖に行ってみたいと思っています。
    >佐藤さんへ
    ま、人生いろいろでしょうね。
    日本人の哲学というか思想というのは、どうも、闘争とうこととは無縁のようですね。そのあたりがフランスなんかとは違う。
    昨日民主党の浜口さんも言ってもましたが。
    日本の坊主なんてのは、思想家の割には何の行動もしない。ただの物知りってもんで…。
    自由は勝ち取るものだ、ということではなくて、与えられるものだという思想。その弥勒菩薩救済説も…。
    あーでもない、こーでもない、と言ったほうが楽しいって事もあるもんですよ、人生の一時期には、なんて思っていますよ。
    >kemamiさんへ
    「この能力は、絶対に万人に公平に与えられてはいない。
    驚くほど鈍いヒトが、世の中にたくさんいます。」
    そうかもしれないですね。
    感性とか言ったりするのかな。
    ボクも鈍い人だったりするのかもしれませんが。
    でもねえ、やっぱり、いろいろなことを、いろいろと、感じないと…。
    でも、それじゃ、きっと、盛者にはなれないのでしょうが…。
    てか、そんなことより、お酒を上手に飲みたいもんだなんて、思ったり…。です。
    >ルンタタさんへ
    いえ「不可能」という文字も、ある。

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    ナポレオンの辞書には「不可能」と言う文字はない。私たちの人生には「挫折」と言う文字しかない!?

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    >実はボクたちは「悲しみの素」ってのを
    >嗅ぎ取る能力を持っていて、それを避けるように
    >生きようと思えば生きられるようにできるのだろう
    全くね。
    私とか管理人さんは、嗅ぎ取る能力が少々異常に
    発達しているのではないかと思います。
    この能力は、絶対に万人に公平に与えられてはいない。
    驚くほど鈍いヒトが、世の中にたくさんいます。
    恐らく、黄色い線を帽子に引っ張っている技能職の方にも。
    むしろ私たちは、この「嗅ぎ取る能力」から逃れられなく
    なっている気がします。だって、こちらから嗅ぎ取りに
    行かなくても、向こうから飛び込んで来るんだもん、
    ファイアーウォール立ててる間もないわ、って感じ。
    だからやっぱり、「哀しみの素」を避けきれずに
    街はクリスマス、競馬場は有馬記念。
    80万の配当がつく穴馬券でも、買わなければ当たらない。
    さて、、。

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    ガード下のダンボールの家の中で少年たちの狩の獲物にならない様にね。世の中上を見ても下を見てもキリが無い。今の自分の状態を見つめて、受け入れて、その状態を如何に楽しむか、そう考えたほうが楽ですよ。片意地張って突っ張るよりも、不平不満を言って愚痴ぽっくなるよりも、どうせ、最後にゃ死ぬんだし、ダメでどーしょーもないオッサン生活を満喫したほうが楽ですよ。結構大変ちゃ~大変だけど、力抜いてるから楽ですよ。だって、古くは、アレクサンダー大王然り、ローマ帝国然り、平家然り、豊臣家然り、十五代続いた徳川家然り、トヨタとて、諸行無常、盛者必衰、世の流れとは、そう云うもので、それを、あーだこーだ言ったところで、始まらないし、今、自分がこういう状況になつたのは、結局のところ勤務先の倒産とかでない限り自分のセイってとこもあるし、どうせ地球なんてあと30億~50億年後には人類の住めない星になるんだからそう考えりゃ楽ですよ。
    あ、そうそう、仏教では、釈迦入滅後、56億7千年後だったかな~、弥勒菩薩が、悟りを開いて、すべての人々を救いに降りてくるとか来ないとか?ま、力を抜いてもう一度、自分の人生振り返るのも悪くはないもんですよ。ま、その上で傘貼り浪人生活を楽しんでます。

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    こんばんは。お久しぶりです。年末、忘年会やら何やら・・・それも少し落ち着いて少し気が楽です。個人的には、(飲めないので余計にですが)宴会は好きではなく、できれば遠慮願いたいのですが、ま、そこはしがらみやら何やらで、今月だけで数回こなしました、疲れたことと、飲めないためどうしても食べること中心になるので、気づかれと、過食気味で体長不良だけが残る今日このごろです。別に楽しくもないし、表面的なことだけ話してあとは、えっと、笑ってごまかす、会社の宴会って何だろうと思いながら・・。少し余談がながくなりましたが、今日、田原へ行きました。少し用事があったのですが、三河港大橋を渡り、田原工場の前を通って、ミマスの横の道から田原寮の前をとおりました。管理人さんはここにいるんだなあと思いながら・・・。ぐるりんバスを、たぶん寮生の人たちだと思いますが、列になって待っていたのが印象的でした。街の方へ出られるのかな。

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