退職、カナさんが辞めた理由
ハローワークから帰る時の寂しさってのは、どうなんだろう、競輪競馬あるいはパチンコに負けて有り金使い果たしたような感じに似ているように思う。
それも8レースあたりで帰る感じで、もう少し資金があれば、とか、3-5を買っとけばなあ、なんて後悔から車にクラクションならされたり、歩道の段差に転びそうになったり。
50歳にもなると就職なんてそうそう簡単にあるものでもなくて、それでも失業保険を受給している期間は余裕もあって、こんな人生もあっていいよなあ、
なんて思ったりするのだろうけれど、その受給期間も残り僅かになると、今度は後悔というよりも自棄気味になってしまって、あれほど見向きもしなかったパートやバイトあるいは派遣社員としての就労を一気に決めたりするのだろう。
ちょうど一週間前咲いていた彼岸花も、もう枯れてしまって。でも、それはそれで、ボクの目には綺麗に映ったのだけれど。
カナさんもそんな感じで、結局決めたのはスポーツ量販店のパートの仕事だった。
時給750円、日給5000円
時給750円ほどで1日7時間、日給にすると5000円少しの仕事。地方では、最低賃金が600円ちょっとで、その最賃ギリギリの時給ってところもあって、700円を越える仕事というのは時給で見ると、まあまあかな、と錯覚してしまう数字だと思う。日給に換算すると、その「まあまあ」という感覚もスッとさめてしまって、「それぐらい」の金額にあらためて驚いたしまったりもする。
それぐらいの給料に驚くのは、例えば生活保護費よりも安い賃金だったり、年金もらっている隣のおじさんよりも安い己の労働力に、なんだけれど、それでも独身で例えば20代前半の人たちならば、そこがスタート時点という先のある希望も夢もあるのだろうけれど、ゴール地点の見えている50歳の男には、驚きというよりも、もう諦めでしかない、そんな脱力感がほとんどを占める驚きなのだろうと思う。
高校生と中学生の子供がいて、奥さんと4人暮らし、奥さんもパートとして働いているのだけれど、それでもふたりで20万円少しの収入しかない生活はいつも余裕がなくて、煙草も酒も止めてしまっていて、ただ生きるということが子供たちのためだけというようなことをいつも言っていた。
経済的徴兵
高校生の子供の卒業後の進路も、私立の大学には行かせられないし、かといって自宅から通学できるような場所には希望する学校も、あったとしても学力という問題もあって、どうしてもアパート暮らしになるようで、そうなるといくら国公立の大学と言っても、毎月10万円はいるだろうし、ということで、親子共々かなり悩んでいたらしくて、最後には「自衛隊に行け」なんてことも言ったそうで、女の子なのだけれど。
そのスポーツ量販店に1年勤務した頃、準社員になったのだけれど、それはカナさんの最後の希望でもあったし、そのためにいろいろな努力をしたそうだ。
それでも給料は月に5000円ほどしか上がらなくて、それでも来年はという気持ちで1年近く勤務したのだけれど、次の年の昇給もなくて、そして実績は認められないということになるに至っては、とうとう転職を考えざるをえなくなって、その量販店を辞めたということなのだ。
退職の理由
50歳の男が2年働いても結局は十数万の給料しかならないというのが現状で、「準社員登用あり」なんて募集要項の言葉は詭策のようなもので、準社員になったからとて何かが変わるってことでもなくて、結局は責任が増えたということと、社員にいつなれるか分からないという状況に、我慢が出来なくなった、というよりも、限界になったというのが、カナさんの退職の理由だと思う。
次の就職先が決まってから退職をした。今回は失業保険があったとしても、自己退職で3ヶ月かんの待機期間があるのだから、決めてから退職しないと生活が一層苦しくなったからだと思う。そういう目に見えない就職苦というのは、雇用保険法には考慮されていなくて、一元的に退職理由を自己退職と決めてしっているように思う。
ハローワークで紹介された仕事だったのだけれど、恐ろしく事務的に、そしてそれは自動的に実にスムーズだったそうだけれど、そういった家庭事情とかは考えての斡旋なのだろうかと、いつも思ってしまう。いや考えていないということは、そういう家族構成を書いた覚えがないことから、ただただ事務的に自動的に、なんというか人の温もりのしない、そうそう大量生産大量販売されている食器のように、実はボクたちも扱われているのだと、ふと思った。
労働とは
人が働くということ、それは生きるということと等しいのだけれど、そう考えるとハローワークや企業の責任というものは重大で、時間を切り売りするしかない労働者の、その売られた身体の一部を無思慮に値引きするなんてことこそが、非人道的なことなのではないかと思っている。
年齢給を付けろと、カナさんもボクも思ってはいないのだけれど、正社員の、例えばその量販店の店長にカナさんの給料で生活できるのかということを、少しだけ考えてもらいたいと思っているってことだ。最低限の生活をすることが、いくら真面目に働いても、そしていくら長い期間働いても、難しいというのが、格差問題なのだから。
それはスポーツ量販店のみならず、例えばファミレスやコンビニ、製造業なんかでもあることで、何年働いても時給100円とか200円しか上がらないというのが、この国の仕組みなんだから、これはもう人権問題だろうと、思うんだけれど。
カナさんは、スポーツ量販店よりは5万円ほど良い仕事をしているのだけれど、それでも、その5万円は子供のために使われると思うと、なんていうか「人生が2度あれば」なあ、なんて思ったりしている。再チャレンジなんか出来ない人生は、1度失敗したら、もうそれで終わりみたいなもんだろうから。
厚生労働省:第6回21世紀成年者縦断調査(国民の生活に関する継続調査)結果の概況
>さといもさんへ
何度か書いたのですが、それがトヨタの雇用力になっているのでしょう。
期間従業員にしても履歴書一枚で雇ってくれますからね。ボクがいろいろ書いたところで、それに非正社員という雇用形態が悪いといっても、それを必要としている人もいるのでしょうしね。
社会の仕組みってのは、そういうものなのかもしれませんね。
トヨタはさといもさんのおっしゃる理想の社会かもしれませんね。技術というか、真面目にやっていさえすれば。
愛知の雇用状況で考えると、まだまだチャンスはありそうなんだけれど…。
>稀さんへ
働くということと、好きな道というのが、また違うから難しいですね。
たしかにさといもさんがおっしゃるように自動車業界、製造業ですと、中卒で雇用してくれて…。そうそう、金の卵って言われた時代は、良かったのかもしれないですね。今でも、新卒者は大切にされるのかな。
でも、それは果たして本人の好きな道だったのか、という疑問は残りますが。
ま、それでも、若ければ、なにかやり直しも聞くのでしょうが、50歳を過ぎて、その技能をというと、また難しい問題もあって…。
好きな道を歩む。
自分は十代のころ親は結構厳しくて・・まあ好きな学校にも行かないで・・というか実家から早く独立したかったのにさせてもらえないまま・・卒業しました。
反動なのか今はここにいます。
懐かしいけど・・あまり帰りたくない。
その成果?今の職業だと時給はいいですよ1200円ぐらいからいいとこだと2000円くれます。
今はね。
トヨタがある愛知県は割と技術者や職人を評価する傾向があると思うけどこれはよい事ではないだろうか。
それがこの地においてトヨタをはじめとする自動車産業、製造業の発展した理由の一つだと思っています。
最後にたとえ中卒でも出自がよくなくても優れた技能さえあれば勝ち組になれる社会が私の理想です。ただ亀田家みたく常識がないのは社会人として駄目だけどね。
さといもさん、こんばんは。
ああ、なるほど、そういうケースもあるでしょうね。直接会社へ「息子の給料の前借」なんてこともあるということも聞いたことがあります。
なんていうか、ま、例えが悪いのですが、亀田親子のように、ってことかもしれないですね。
育ち、というか、しつけ、というか、マナー、というか、モラルや常識というか、そのあたりは、やはり家庭教育ってことも関係すると思いますしね。
それは家庭が裕福とか貧しいとかとはまた違っているのですが、おっしゃる通りそういった風潮ってのは、あるのかもしれないですね。
少し前だと、ま、いろいろな調査をしたということもありますから。ここでは、深くは書きませんが…。そんな差別は現在もあるでしょうね。
おばんです。
聞いた話ではあるのですが中にはやたらと会社に介入してくる親や家族が居て厄介な場合があるみたいなので嫌がる会社があるようです。
本来なら貧しい家庭の人ほど優先的に雇うべきじゃないのかと思うけど実態は逆に裕福な家庭の人のほうがいい職にありつける場合が多い。
少なくても就職に関して育ちの良し悪しは殆ど関係ないと思うけどそういった風潮があるのは非常に残念である。
>ROM者さんへ
おじいさんの時代、それからも集団就職はあって、70年代まではあったようです。ここから近い豊橋や名古屋にも、もちろんトヨタにも、中卒の集団就職の人たちがやってきていました。
女性は紡績会社とかがお決まりのコースで。でも、会社の寮にすんで、そこから定時制の高校に行っていて、企業も従業員の将来を考えていたのでしょうね。というか、そういうことがないと来てくれなかった、金の卵と中卒者が言われた時代だったそうですから。
そういう子供たちが親となり、子供だけには、って、ま、自分達が出来なかったことを、なんて考えたのかもしれません。
ボクの両親もそんな感じで、子供たちには好きな道を、ってことをいつも言ってました。
>歩さんへ
格差とは要するに金ということもあるでしょうね。拝金主義、だから解決策にも「金」ってことが付きまとう。
おっしゃられる通り、ボクも、それとはちょっと違う生きかたもあると思うし、金を切り離して豊かさというもの考える必要があると思います。
でもね、ま、700円、それ以下で働いて、昇給もない人がとても多いのですよ。企業の利益配分ってのが、労働者に向いていないということもあったりで。トヨタもそうですけれど。
最善の方法は、やはり各自が探すことで、自分の生き方ってのを、見つけることなんだと思ったりしています。
ま、それでも、最低限の生活費が必要なんだけれど、そのあたりのバランスが、やっぱり難しいのでしょうね。
そう考えると、まだまだ選択肢を持っている日本人ってことになって、それは幸せということになるのだろうと、思っています。
>さといもさんへ
核家族化すると、出なくても良いということになるのでしょうね。それどころか親は「一緒に住めばいいじゃんね」なんてことを言うのだろうし。
仕送り、う~ん、どうなんでしょうね。評価が下がる場合ってのが、それは親の問題なのでしょうか、子供の問題なのでしょうか。
>一郎さんへ
そういったものへの解答ってのは無いのかもしれませんね。歩さんもお書きになっていますが。
どの季節も、あの辺りから見る蔵王山は良いですね。特に夕暮れ時は。
よく出来た(という表現はおかしいですが)街だと思います。川もあって、そして海もあって。住むのには良い街だと思います。年金もらうようになったら、移り住もうかと思ったりしています。
>もっちんさんへ
700円は良いほうで、600円台のほうが多くて。コンビニなんかもそうですしね。深夜割増でやっと800円とか。
警備なんかも800円ですからね。900円なんてのは夢みたいな金額だったりして。
でも、その面接官の方は良心的で、そういう風にハッキリと言ってもらったほうが、計画が立てやすいし、美味い話ばかりするところもあって、それがボクが書いた「詭策のような」ものなんですが。
「社会では組織に中で異を唱えない風潮がさらに
加速されていく。」
なるほど、そういう仕組みになっているということでしょうね。それが保身術でしょうから。
ワークシェアリングとか、ま、非正規雇用の問題もですが、正社員にしてみれば、その問題を取り上げる自体が「自己否定」になりますから、これまた異を唱えるどころか、見て見ぬ振り。それが組合だったり。
「人生をマイペースで過ごす為に田舎暮らしを選択した人」
格差が金じゃないと、思うのですが、それに幸せも金じゃないと思うのですが、やっぱりおっしゃる通り、そうなるんですよね。
一部の、ごく一部の人たちは幸せになっているのかもしれませんが、そこには資本があったり…。
「敗者復活を容認する社会制度とそれを受け入れる社会全体」
ローマ人物語でしたよね。塩野さん。
みんな好きで負けたわけじゃなくて、いろいろな事情があったのでしょうが、やっぱり「異分子」は、仲間に入れると、自分達の存在が脅かされるなんて思っている社会なんだろうと。
ま、結局は社会全体がケチってことかもしれませんね。
訂正
休職×
求職○です
申し訳ない
時給700円ですか・・・・
そうなんですよね
40歳を越えると正規雇用求人ががたっと減り
50歳を越えるとパート求人すらなくなっていく・・・
数年前
同じ業界内で転職しようとして
希望に近い休職先を見つけたのですが・・・
パートで時給910円
数年がんばれば正規職員の道が開かれるとの事でしたが、
額面月16~17万で手取り11万あるかないかでは・・・・
面接の際に、面接官さんから
『パート待遇の方は本当にやりたい方でも、数年で待遇面で耐えられずにやめていく方が多いんです』と聞かされました
そこはかつて自治体の予算での福祉事業を委託された外郭団体で(半分天下り団体みたいで理事は自治体の退職したえらいさん)
今は自治体から半分切られた形で新規職員を正規で大量に雇用できないので、不足分をパートで募集しているという事でした。
かつては正規職員で勤続35年越えるとヒラの職員ですら年収が諸手当込みで1000万近くなると評判のところでして、その割りには今まで親方日の丸でたいした活動してなかった法人だったそうです
今は地域で障害者の方の生活と仕事の手助けをする事業を始めて(求人があったのはそこです)関西でも評判だそうですが、 その地域生活支援部門に勤めている職員の半数以上はパート待遇で月手取りが12万。
対して同じ法人の施設部門で働く古参職員さんの平均月収は
40万以上。仕事の質は地域生活支援部門の方がはるかに高い物を要求されていて、仕事量も倍以上あるのに。
独立採算の事業なんで、高い賃金の職員を異動させれば
経営を圧迫するし、なにより古参職員には新しい仕事に
対応するスキルがない。
団塊の世代の給料と退職金が経営を圧迫していると
なげいていました。
確かに高齢になるほど再就職は難しい。
だから団塊の世代は退職まで会社に異を唱えずに
耐え忍んで、会社の下僕になった人間がたくさんいて。
そうやって高額の年金と退職金を得る。
そうやっていくうちに
社会では組織に中で異を唱えない風潮がさらに
加速されていく。
一度組織を飛び出した者は異分子として
飛び出すごとに収入も社会的地位も少なくなる。
転職で収入や社会的地位なんかで人生が好転するのは一握りのホワイトカラーぐらいなもの。
人生をマイペースで過ごす為に田舎暮らしを選択した人をたまにテレビで見かけますが、たいてい子供や家族の選択肢は
収入の面で狭くなり、家族の人生が犠牲となっている。
究極の福祉は弱者救済でなく、敗者復活を容認する社会制度とそれを受け入れる社会全体だと作家の塩野七生女史が語っていましたが(古代ローマが隆盛を極めていた背景にはそれがあったと)この日本社会には再チャレンジなんて言葉はやはり言葉だけ・・・・なんでしょうか。
ほんとうに考えさせられます。田原笠山さんや書き込まれる方の話題の切り口が現実を的確にとらえてて,少し将来が不安になったり・・・。仕事,生活,豊かさ,幸せ,格差・・・って何でしょうね。
笠山さま
以前田原ジャスコの周りの風景について書かれていましたが,あの辺りの風景はとても好きです。かつ,いま,あの辺を見ると何となくたそがれてしまいます。田原に住んでいたころ,ジャスコはよく行きましたし,ジャスコ付近の田園地帯の道を自転車で走っていました。まだ,現実の生活のことなんか考えもしなかった,若いころのことですけど・・。
私の家も学校を出たら家から出ていけという教えでしたが今はこの考えはあまり理解されなくなってきていると思います。
それどころが実家に仕送りしているとなると評価が下がる場合もあったりしますからね。
記事とはズレたコメントになりますが…
この国には遊びや物資に溢れ、それを求めるがために高い給料を目指し…結局、国が豊かになり文化が繁栄すると言うことは少なからず現状のような結果になるのではと思ったりします。大学に行かせて上げたいという親の気持ちも、行き着く所はそうなんじゃないかなと
自殺率の高さなんかも贅沢を知ってるがこその結果だと思うんですけどね。病気的な物も含めて
だからと言って、極端に不公平さや格差を無くしたりすると、それは社会主義国家…要はバランスですよね
さて、どうすればこの国は良くなるんでしょうね。最善の方法なんてないんでしょうが、最低でも悪人だけがいい思いをする世の中にはなって欲しくないですね
でも、今ってそれに近いと思うんだよなぁ…主観ですけどね
でも日本人て幸せですよね。こんなグチは日本以外の国の方の前じゃとてもじゃないけど言えませんよ
いつも考えさせられるブログをありがとうございます。
俺の祖父は東北出身の6人兄弟の末っ子で、長男が跡を継いで故郷に残ったほか兄弟6人は義務教育を終えたと同時に
東京やその他の大都市に集団就職して実家に仕送りしていた
と生前言っていました。
ですから、子供の数=親の生活が楽になるという図式が成り立っていたようです。
今は高校進学は当然、大学までやってようやく親としての義務を果たすという時代ですから、親の細いすねがさらに細くなる、子供を作れば作るほど貧乏になるという時代になっている・・・みんなが子供を作りたがらない、少子化になるのは当然ですね。