母の日に母親からのプレゼントを貰う息子は幸せなんだろうね

母親が家の掃除をしている記憶がない。
それほど忙しかったのだろうと、今は、思っている。
4人の子どもたちを育てながら、祖父母の世話、そして仕事までしていたのだから、いったい自分の時間なんてのはあったのだろうかと、今は、思っている。
20歳で嫁入りした時は父親の妹がまだ3歳で、すでに子供がいたような状態だったらしいし、その翌年には長女が生まれて最後のボクを産むまでの10年間というものは、なんだか分からない日々を送っていたという話を聞いたことがある。ボクが生まれた年に30歳になっていた母は、そこからボクが小学校に入学するぐらいまでは子育てと家事、そして仕事とさらに忙しい日々だったのだろう。家事といっても今のように電化されてはなかったので、かなり忙しい日々だったに違いないと思っている。
かまどがあって、風呂は五右衛門風呂、トイレは汲取り式。そんな家で、母の一日は火を熾すことから始まる、今では(あの頃の都会の人たちもだろうね)考えられないようなものだった。ボクが小学2年だか3年の時に、やっとテレビが家にやって来た。貧しかった。それでも貧しさは隣の家もその隣も同じで、平等に分け与えられていたように感じた。
40歳になっても、子供たちと家族のために生きていたように思う。何の楽しみもなかったのだろうと、あるとしても、それは子供の成績が少し良かったとか、蕗が美味しく炊けたとか、それぐらいのことだったのだろう。そしてそんなことでよく笑っていた。
長姉が中学校を卒業すると集団就職で関西に行った。そのことが母のあの頃の一番の悲しみだった。母の涙はいつも子供たちのことだった。その悲しみがボクにも伝染っていて、姉はボクの悲しみだった。
そうしてしばらくすると、今度は祖父が寝たきりになった。祖母も身体が弱っていたので、世話はほとんどの場合が母親の仕事だった。子育てのあとは介護が待っていた。かまどがなくなったり、家事が少しずつ電化していったのだけれど、楽になるどころか仕事は積み重ねられていった。
祖父が亡くなると、祖母が寝たきりになった。祖母の場合は痴ほうもあって、その介護を手こずらせていた。母を罵倒していたし、食事をひっくり返すということもあった。母の苦しみはそのことだった。ボクが祖母のことを嫌いになったのは、祖母が母の苦しみのもとだったからだろう。祖母の死を悲しくは思わなかったし、それどころか「よかった」とさえ思ったのだ。でも、母は涙を流していたし、もう少しなんとか出来たのではないかと言っていた。
その間に、姉や兄の結婚なんかがあって、そのことがやっぱり母の喜びだったのだろう。そしてそんな子供たちのことが、介護なんてことの辛さと引き換えにされたのだろうと、今は、思っている。
ボクは、高校受験に失敗したりして、かなり母親を悲しませてきたのだろうと思っている。その頃、今もなんだけれど、母親の悲しみのもとになっているように感じている。そのことは、やっぱりボクを悲しくさせたのだけれど、どうしようもないことだった。
母は、いつも、母自身を責めていた。「わたしが悪い」というのが口癖だった。中学生の時に父親と大喧嘩したとき、理由は「どうしてうちは家族旅行も行けないのか」というものだったのだけれど、そのときも母は「わたしが悪いのよ」と泣いていた。悲しみをひとり背負っていた。それも家事のひとつであるかのように。それが運命のように…。
やっと、楽に座る時間も出来るだろうと、ボクもそしてみんなも考えていたときに、父親が病気になって入院生活が始まった。長い長い闘病生活が始まった。母は、あの、冷たい、病院の床に、寝泊りして、父の看病を続けた。24時間一緒にいたし、それが夫婦というものだと、信じていた。
父の病状が悪化すると、せめて炊き立てのご飯だけでもと、病院でご飯を炊きはじめたのだよ。窓の外に炊飯器を出して、そこで一食分のご飯を炊くということは、出来そうで出来ないことだと、思う。母は、愛するもののためには、全てを捨てられたと思う。例えば羞恥心とか自尊心とか、そういったものさえも、なんのためらいもなく捨てたのだろうと、今は、思っている。それが良いことか悪いことかということは、別として。
10年間、母はその病院の床で寝起きした。たまに父の病状が良くなって在宅治療期間があったとしても、ほとんどの期間を、その、冷たい、病院の床で過した。それが、愛だと、信じていたのだろうし。そしてそれが家族だと信じていたのだろうし。
全て、それは負の部分が圧倒的に多かったのだけれど、それを引き受けるのも母の仕事のようだった。きっと、父親の病気さえも「わたしが悪い」と思っていたのかもしれない。哀しみとか辛さとか、その部分の感覚ってのは、人の立ち位置で感じるものであって、その中に埋もれてしまっていては、哀しみとか辛さなんてのは、きっと考えられなくなるのだろうと思っている。そしてそれは比較でしかない部分もあるのだろうし。
毎日の墓参りが母の日課になった。信じられないだろうけれど、毎日。まるで父がそこにいるかのように。父の死後、何年もボクは母との連絡を取らずに過してきた。それは決して母への憎しみとかということではなくて、そうすることが一番の方法だと思っていたからなんだけれど。父を亡くして、そしてボクも消えてしまった後の母は、そういった全ての悲しみをやっぱり自分ひとりが背負ってしまっていたのだろうと思っている。
何年かぶりの母の日だった。昨日。思いがけぬ母親からプレゼントを貰った。ボクの贈り物は間抜けなことにその前日に届いていた。母は、期日指定で送っていた。母の日に母親からプレゼントが届く。少し不思議な感じもした。
「まだ親がいることを忘れないように」母の手紙に書いていた。きっとそんなことだろうと思う。母の日というのは、きっとそんなことの確認なんだと思う。ボクの喜びは母親の喜びなのだろうと、それはかなり当たり前のことのようだけれど、そして逆に、ボクの哀しみは母親の哀しみなのだけれど、きっと、それが家族なのだろうと思う。
感情の交換が家族だとすると、母はひとりでその手続きに奔走していたように思うし、今もそうなのだろう。悲しみや苦しみを引き受けるのが母親の役目だと信じているのだろうし、妻の嫁の役目だと信じていたのだろう。ボクたちは、ボクたち自身の悲しみや辛さってのだけでも、かなりの重量を感じて暮らしているのだけれど、その重さってのは、きっと、母親のものに比べると、軽いのかもしれないと思っている。
いや、悲しみの質ってのもあって、それは一概に同じ度量衡では計れるものではないのだけれど、ボクの知らない、そして今後も知ることの出来ない悲しみなのだろうと思っている。きっと、母親にしか分からない感情ってのもが、あるのだろうと思うし、母の一生の前では、ボクの悲しみなんてのは、なんとちっぽけなものなんだろうと、考えてしまうのだけれど。それが母の日なのだろうかと、思っているのだけれど。

9件のコメント

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    >ネルさんへ
    親の気持ちは、ボクも分からないけれど、なんていうか、人の気持ちというか、女の気持ちというかね、そういう部分は…。
    「家族の感謝の気持ち感謝の一言が介護疲れや家事から解放するのよ」
    ですよね。ひと言だけなんだけれど、なかなか言えないということもあるのかもしれないし。照れるとかで。
    母性、そうですね、それは大切なことでしょうね。企業にも人にも。
    >稀さんへ
    う~ん、ま、人間同士だから、合わないってこともあるでしょうね。
    喧嘩はほとんどしなかったなあ。最後は中学生の時の。そんなに話もしなかったけれど…。病気になってから、やっと気持ちが近づけたかなあ。
    >ネルさんへ
    喧嘩もしないと結局分かり合えないままってこともありますよね。ま、喧嘩して溝が深くなるってこともあるけれど、それは、やっぱり人だからしかたないのだろうし。
    離れると、そうだなあ、分かるかなあ、そんでも、別に帰らなくても良いやと思うこともあったりで…。
    >kemamiさんへ
    なんていうか、人それぞれ不満もあるのだろうけれど、それとても他の人から見れば不思議に思ったりするのだろうと。
    逆に人の満足感もそれぞれなのだろうし、こういうことは母親にとっては普通のことだったんだろうと思うと、たいがいのことは普通のことなんではないかと思ったりしています。
    >もっさんさんへ
    そういった逆のこと、表と裏というか、それは、きっとそのことを見たことのない人じゃないと、感じられないのかもしれないと思っています。
    憎しみを知らなければ、それに対する愛を分からないのだろうし。
    だから、そういった裏の部分は知り過ぎるということもなくて、知らないといけないことだとすると、やっぱりその前にエゴイストになるということが、聖人への一歩なんだろうと思ってるけれど…。
    ただ、無償に、ってなると、やっぱりそれはかなり難しいことだったりしますよね。どこかで何かを求めてしまうし…。ボクなんか、けっこう求めるほうだなあ……。う~ん。求めないふりはしてもね。
    >北斗星さんへ
    えっと、子供不幸、あるでしょうねえ。子供は親を選べないしね。それにかなり親の都合ってところで子供ってのは存在しているのだろうし、そして失敗も許されるし。(子育てって、けっこう実験的な要素もありますもんね)
    結局は人と人の関係だから、しかたないと思っています。たまたまボクは母親とうまく付き合えただけだろうし、違う人だったら、違う結果になっていると思います。
    今週は100人ほど赴任するって聞きましたよ。7寮って名前だけ替えるとか?内容は同じってことなんだろうか。富士見は8寮。9寮…ってことになるかも。
    >タンさんへ
    そうですね、紙一重でしょうね。愛憎…。
    親殺し子殺しってのもあるし、きっと愛情も憎しみも他人よりは深くなるのかもしれませんね。
    修学旅行もだけれど、小遣いもくれたし…。
    >空@きのねさんへ
    もうだいぶ慣れましたか?
    日曜日のふれあいには行かれたのかなあ。
    なるほど、無償の愛、親の情愛、純愛ですね。
    やはり感謝も必要でしょうね。自分が生かされていることへの感謝とかも。
    ただやはり無償というか、捨て身に離れないのも確かで、全ての行為にはその代償を求めることが多いように思います。
    愛ということにしても、無償どころか「これだけ愛しているのに」とか「愛しているのなら」なんて交換条件を出してしまいがちですもんね。
    その交換条件のひとつには暴力ってこともあったりして。
    無償に見えて、実はかなり精神的有償なものもあったりで、人の心ってのは、というか、ボクの心ってのは、やっぱり卑しいのかなあ、なんて、思っています。
    んでも、頑張ってみる。

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    こんにちは
    他の人のコメントにもあるように、
    まさに、子供を思う母な無償の愛なんでしょうね。
    柳宗悦の心うたの言葉を思い出しました。
    「我々の不幸の大部分は、報酬を期待することに由来しよう。
    すべての怨恨も後悔も、争闘も苦悩も、
    利己心にもとづくためである。
    酬いを求めないとは、己れを捨て去ることである。
    心にこの用意があれば、幸福は確約される。
    何故なら、何事も感謝の念に転じてくるからである。
    一切の不幸は利己心による。
    利己心とは、報酬への期待である。
    母は子を育てる情愛があるので、
    艱難も犠牲も厭うところではなくなる。
    愛すること以上に、幸を約束するものはない。
    何故なら、純愛には酬いへの期待がないからである。
    ただの行い、
    これに勝る行いはない。
    …たとえこの世で、酬いられなくても、
    後悔することはない。
    捨て身の仕事、それ自身より大きな酬いはないではないか。
    捨て身なら、功徳などは求めぬ。
    無功徳の功徳を知る者は、
    ひとり身を捨てた者のみなのである。
    だから、どんなに順調でも、誇りがなく、
    どんなに逆境でも後悔はない。
    行為それ自らのための行為なのである。」

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    (TmT)ウウ…涙で前が見えねェ…リアルに泣いたよダンナ!!
    交互に交わる感情なんてのが優しさだったり愛情ナリ痛みに近い紙一重みたいな(*_*)
    母ちゃーーん!!!
    修学旅行行かせてくれてまりがとー★

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    この人たちと血がつながってなければ、どんなに楽か。
    いつもそう思っていました。
    決して悪い人たちではないけど、なまじ親子であったがために、本当に重苦しい存在でした。
    ケンカしたわけではないけど、音信不通になってから16年たちました。
    今では、生まれた時からずっと1人だったような気すらします。
    親不孝者。
    でも、子供不幸者って言葉はないのでしょうか?
    田原仮設は、いずれ田原7寮になるそうですよ。じゃ、富士見も…?

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    この記事を読んで
    『無償の愛』という言葉を思い出してしまいました
    主よ
    わたしをあなたの平和の道具として
    おつかいください。
    憎しみあるところに愛を
    いさかいのあるところに許しを、
    分裂のあるところに一致を、
    疑いに信仰を、
    過ちに真理を、
    絶望には希望を、
    闇に光を、
    悲しみのあるところに喜びを
    もたらすものとしてください。
    なぐさめられるよりはなぐさめることを、
    理解されるよりは理解することを、
    愛されるよりは愛することを、
    わたしが求めますように。
    わたしたちは、与える事によって与えられ
    許す事によって許され、
    自らを捨てることによって
    永遠のいのちをいただくのですから
    亡くなった知人の奥さんが好きだった
    キリスト教の聖人の一人
    アッシジの聖フランシスコの祈りの有名な一節から
    俺の場合は母親からの愛情が濃すぎた部分があって
    それがこちらを支配しようとする面も見え隠れしてて
    それが嫌で距離をとってます
    良心の呵責もあるんですけどね、そんな自分に
    でもエゴイストと言われても自分は自分でありたいし
    聖人のような悟りは無理なもっさんからでした

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    私、今日このエントリー読んで、
    自分が「日本語を読める」事を本当に幸せだと思った。
    残留孤児には字が読めない人がいるのね。
    こうして、字を読むことができて、こういう文章に
    心を奪われることがあるっていうのがもう贅沢で、
    それも、親が学校行かせてくれたからだよね。
    母の一生は、管理人さんが笑顔なら、それで幸せだよ。

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    喧嘩はいいじゃん♪
    意識してる証拠だね
    家族に対して無が一番やばいよ
    近い他人だなんて思い出したら危険
    社会にでて家族と距離置くと家族の価値が分かるのかも知れないね♪
    っかオレ実家帰ってねーな

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    懐かしい写真かな?
    親のありがたみ・・・。
    難しい。
    感謝はしてるけど・・う・・・ついつい喧嘩ですね。
    情けない。

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    俺、介護の仕事辞めて今の所で働いてるけどやっぱ社会人になるまではどんに綺麗ごとほざいてもナカナカ親の気持ちは分からないよね
    安月給で介護やってても嫌気がさすのに無償の善儀で介護、家事しなきゃいけないなんて残酷だよ
    やってもらうのが当たり前って思って来たら感謝しなくなるし…
    主婦の価値は年収1200万、ある意味稼ぎ頭 家族の絆に繋れた奴隷に慣らさせないためにも家族の感謝の気持ち感謝の一言が介護疲れや家事から解放するのよ
    皆人間だから俺らも心があるから、豊田も早く母性に溢れた期間工に優しい一言をかけてやりなさい♪
    感謝の気持ちは現金でok♪

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