美しい月とか悲しい夜とか

少し、なぜだか、豊田市にいた頃のことを考えていた。
愛知環状線鉄道や名鉄豊田市駅、松坂屋、豊田スタジアムや橋、なんて立体的超近代的な建造物とその周辺、上と下、光と影…。虚栄の街、と言ったらいいのか、春霞のツツジの微妙な色合いが、似合うような街、理由はないのだけれど、そんな風景を考えていた。

最初の休日は豊田市内まで買い物に行った。あの日のことをかなり鮮明に憶えていて、空の感じとか、街の乾いた空気とか、そしてやはりうつむき加減のボクのことなんかも、たまに思い出すときがあるんだ。好きになれなかった街だったし、今でもその気持ちは変わっていなくて、あの起伏のない風景がいっそう温もりを奪っていて、「砂漠」を感じさせるんだ。

2004年の春、もうあれから4年もたってしまった。

ひとりぼっちのゴールデンウィーク
連休中の寮は悲しさや寂しさで溢れているようだった。ボクは違うといっても、他人から見たら、やはり寂しそうな感じだったのだろうか、なんて考えているんだ。
失業、引越し、期間工、そしてゴールデンウィークまでの2ヶ月間がとてつもなく長く感じたのも確かなのだけれど、あの頃のボクたちにはまだ明日という夢みたいなものがあって、それは就職についてもそうなんだけれど、期間従業員として半年働いて、失業保険を受給する間に就職できるだろう、なんて思っていた頃だったので、まだ確かに“甘い”未来はあったのだけれど。
ボクにとっての失業ってのいうのは、何も悲しいものでもなくて、やっと自分らしく生きることが出来るかなあ、なんて少しだけ楽しいものでもあったし、明日というのがハッキリと見えていた頃だったんだ。そしてなによりも、そこまでを短時間にこなしてきた自分への自信が、まだまだ残っていた頃だったように思う。
だから、独りぼっちだったとしても、そんなに悲しくも寂しくもないひとりのゴールデンウィークだったんだ。パソコンもカメラも持っていってなかったのだけれど、ボクには今よりももっとハッキリと明日を見ることが出来たし、見えている方向へと時間を過せばいいだけのような、そんな簡単な毎日だったように思う。まだトヨタに来てひと月も過ぎていなかったということもあったのだろうけれど。

4年前のボクは、今と同じ失業という状況にあっても、まだ少し元気があって、たぶんそれは年齢的なものもあったのだろうけれど、「明日」が見えていたように思う。
「明日が見える」ということは、例え貯蓄(お金とか経験とか)が0だとしても、それは今日という時間とはかなりの部分無関係であるということだったように思っていた。今日という日をたとえ無為に過したとして、それはどちらかというとプラス方向に作用するものだという根拠なき確信、が、あった。今は、年齢と共に目減りする体力と同じで、全てがマイナス側に向おうとするように思うし、そういった不安がさらに焦燥感を増加させているように感じている。
豊田市にいた頃は、確かに幸せではなかったかもしれないけれど、幸せになれるかもしれないと思う気持ちは今よりも、もう少しあって、そのことが、ボクを支えてくれていたように思う。
コーヒープレスを床に落として、少しだけ蓋のところが壊れてしまった。接着剤でくっつけた。そしてコーヒーを飲んだ。明日になればまたひとつ歳をとってしまって、今日あるうちのものの中から少しだけ何かを失っているのだろうと思っている。そして身軽になるどころか、逆に身動きが出来なくなっていることが悲しいんだよ。

あ、すみません、コメントの返事は、も少し後に書きますから…。

5件のコメント

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    稀さん、おはようございます。
    良い癖、ですね;)
    ま、単純なほうが良いってことのほうが多いのだけれど、悪いってことにしてしまうのが人間なので。(と訳の分からないことを言ってしまう…)
    えっと、「ひとつのことなんてのは、…」って部分はちょっと意味不明でしたね。(きっと朝5時だったので朦朧としていたかも)
    多くありそうな他者の回答なんてのは、実際は、自分のひとつの回答が全てなんだから、他人のことなんて、というようなことで…。
    モットーは「強引」かと思ったよ。

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    ありがとうございます。
    いかんせん単細胞なので考え出すととまらない。
    悪い癖ですわ。
    マダもう少し天気が続くようなので安心です。
    モットーは休みは晴れがいい・・なので。

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    >北斗星さんへ
    ええ、ちょうどの写真とかタイミングとかで。ちょうどツツジの頃ってのは、思い出深い頃でもあります。
    えっと、豊田市はお書きになっている通りの町だと思います。公共施設に税金は儲けの分使われているようにも感じましたけれど。図書館とか公園とかスタジアムとか、田原市以上ですし…。
    「演じる自分と、演出する自分。2つの視線を持つと、自分だけでなく、他人や世の中の見づらいところも見えるような気がします。」
    というのは、そうだと思います。書くという行為がそういったことなのでしょうね。
    そうですね、何か行動しなければならないのでしょうが。少しずつ動き出さないとね。
    えっと、今月は100エントリーになりそうですね。それはすごいかも。
    >稀さんへ
    花曇とか春霞とか…。
    上の北斗星さんのコメント、2つの視線なんてのは、きっと恋愛なんかにも言えることなんでしょうね。
    そして2つの気持ち、も、きっと、2つの視線なのだろうし。
    正当化は、そうですね、しなくて良い場合の方が多いように思います。だって、演じるのは自分だし、それを演出するのも自分で、そして判断するのも自分だとしたら、ひとつのことなんてのは、その本質においてひとつのことなんだろうし…・
    えっと、ま、あまり頑張りすぎないでも…。

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    今日の豊田市は霞がかった晴れで睡眠不足の自分には晴れの太陽が殺人的で・・・吐き気を催しました。
    白・ピンク・赤の皐月がここぞとばかり頑張っていて1ヶ月前からは想像できないほど鮮明な季節になりました。
    自分にも今週はかなり鮮明な週で後悔とマダ出来るという2つの気持ちが寝不足に駆り立てて・・・・・。
    ある意味自由を履き違えていた自分が恥ずかしい。
    正当化などしなくてもいいとも思います。
    明日からは(朝から)はまた頑張ろうと管理人さんの思いを感じながら読んでいます。

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    もしかして、自分の記事で豊田市での日々を思い出してしまいましたか?
    トヨタのアウシュビッツ、田中和風でしたしねぇ。
    あまりにノー天気な内容だから、逆に悲しくなってしまったのかも…。
    人間五十年
    化天のうちにくらぶれば
    夢まぼろしのごとくなり
    信長の好きだった「敦盛」の一節です。
    先のことなんかわからない。でも、いつかこの世から消えることが義務づけられてるなら、とにかく必死で走るしかない。
    信長は、まさにそのままの生きざまでしたね。
    自分は天下統一なんかできませんから、せめて、その時その時に何かに打ち込もうと思います。
    今は…ブログかなぁ。自分の思いのありったけを書いてみようと。
    それがあの程度なんですけど(笑)
    笠山さんなら、もっと書けると思いますが…。
    死ぬその瞬間まで、信長のように完全燃焼しながら生きられれば幸せなんでしょうが、自分みたいな凡人にはとても無理。
    せめて、この世に棲む日々を、をもしろきこともなき世ををもしろく生きようと思います(高杉晋作の辞世を引用)。
    あ、別に享楽的にとか投げやりな意味でなくて、もがき苦しむ自分ですら、ドラマだと思って他人の目線で見るようにしているということです。
    演じる自分と、演出する自分。2つの視線を持つと、自分だけでなく、他人や世の中の見づらいところも見えるような気がします。
    ま、こんなお気楽なことを考えて生きてるオヤヂは、たぶん自分だけでしょうね(笑)

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