ホテルフリーダム豊橋(2008年夏18きっぷの旅)

半年、6か月、180日…その時間の流れの量を答えられる人はいない。
と、思う。
抽象的な概念を正確に、正確ではないにしろ、測定する度量衡はない。
と、思う。
となると、哀しみや喜び、苦しさや楽しさ、痛みや快さがどれほどのものなのか、を誰が知る。あるいはその傷口は、その度量衡に乗せられ計られる、と同時に治癒する、か、さらに悪化する、腐敗する、朽ち果てる、消える。そういった循環の中にあっては、死という完全かつ永遠なものだけが、計りうる唯一の度量衡なのかもしれない。
と、思う。
そしてその永遠なんてものも、わずか御影石の30センチ角の墓石の下で身動きも取れないでいる。
あるいは秒速30センチほど、わずか5ccの精液の量、それが快楽の総体だとしたら、なんとあっけないものか。そしてその快楽もティッシュにくるまれては、汚物入れの中で身動きも取れないで、窒息する。
○月○日豊橋市
もう日付も変わる頃到着。
数基の墓石はいつものように、そして正確に一寸違わずそこにある。東西南北と線路に直角にそして並行に、全てのものが流れるように、例えば風や、例えば日光や、そうして人の流れも、人工的に決定されている。線路をx軸にした、そして通路をy軸にした秩序を造りだしている。
その答えが幸福という、あるいはその完全かつ永遠なものへの、あるいは汚物入れの窒息した精液、というものを導き出す計算式のような構造様式、それはもう今となっては、バロック建築ほどの荘厳さをもって、人々を圧倒する。
通路にはすでに死人の体(てい)で、そういった幸福という秩序に背を向けて、眠る人々がひとりふたり、そしてさんにん。その寝息が聞こえてきそうなほどの豊橋駅24時過ぎ。どういうわけか、通路は3段の高さを2つの階段で造り出している。登るのか下るのか、ボクは考えていた。
そういうボクも実は死人の体で、もう野宿の旅にも疲れていたし倦んでいた。
野宿に疲れる、というか、その長距離の移動に疲れていたというほうが正確で、タイムラグのようなもの(実際はないのだけれど)が身体の神経細胞を破壊していくような感じがしていた。そうなると感覚は少しだけ異常になる。その破壊されたものを回復するために、蘇生するために白血球数が増加する音まで聞こえてくる。それとて異常さの一現象なのだけれど。
ボクは、その墓石の上に腰を下ろす。大垣発のムーンライトながら号が到着する頃、少しだけ人が移動する。移動と言っても、やはりその建築様式という秩序に決定された順路を、流れるだけのことなのだけれど、それはまるで通路を流れる風のようでもあり、そのあとは、また、全きの墓場の夜が出現するのだけれど…。
その流れを見ていた。まるで葬送行列を見るように…。
ボクは、その墓石の上の、さらに重石となっては、そこが唯一の座布団のある場所のように、感じていたのだ。その座布団を探すことが、ボクの駅での作業となっていることに気がつくと、果たして人は、生きるということは、なんと規則正しい計算式によって導き出される様式なのかと、愕然とする。
野良猫ほどの自由さもない、というのが、実は、自由な旅をしていると思っている、ボクということなのだ。
……。

3件のコメント

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    >まことさんへ
    ありがとうございます。
    列車に乗って、夜の駅につくと、途方もなくそんなことを考えます。ホテルを予約しているわけでもないので、どこに寝るかということから、また始めなければならなし…。
    終わりと始まりのくり返しみたいな…。
    >しおまるさんへ
    雨は大丈夫でしたか?
    田原祭りは来週ですよね。
    もうそんな時期なんですね。
    ぎっくり腰は、癖になるって聞きますし…。腹筋を鍛えたらいいとかも聞くけれど?
    栄養とかの関係もあるかも?
    お大事に…。

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    ひょっとして田原祭りを見に豊橋へきています?(私は八王子ですが)
    持病の腰痛からぎっくり腰までやってしまって心が折れてしまったしおまるです。早く帰りたい。

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    寂しい
    とてつもなく寂しいのは何故だろうと
    田原さんの記事を読むたびにそう思います
    ちっぽけな自由と現実
    生と死
    虚無感
    それが深夜の列車と駅に溶け込んでます。。。

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