バカボンパパのいなくなった頃

赤塚不二夫さんが亡くなって、そう言えばタモリさんのあの弔辞のことが話題になっていましたね。「私もあなたの数多くの作品の一つです。」人と人との関係ってのは、きっとそんな感じなんだろうと思ったりした。
少し前、高田渡さんが亡くなった時も感じたのだけれど、ああいう感じの人たち、例えば少しだらしなかったり、昼間っからお酒を飲んでいたり、ということが神聖に思える、そんな大人がいなくなったという感じがした。
どんな街にも、そういった大人がいて、例えば安アパートの部屋からは短波放送の音だけが一日中流れていたりするおじさんがいたり、駅裏の朝からやってる居酒屋には、何をしているのか分からないおじさんがいたり、するのが普通の風景だった。
公園や図書館に行けば、そのおじさんたちが、またいたりして、新聞や雑誌を読んでいるのか寝ているのか分からない風でもあった。
そういう人たちが少なくなった。そのかわりにホームレスという人たちが増えたようにも感じる。社会が、たぶん、異質さということに対して許容しなくなった、ということなのだろうと、結論を出すのは簡単なのだけれど、実は、逆に、デイトレとかオークションとかネットビジネスとかいう、とてつもなく不透明な異質なものは、かなりの部分で許容してしまっている。
じゃあ、どういうことなのか、と考えると、「多様性の時代」なんて言っているけれど、実はほとんどが同一の価値体系の中での多様性の時代、という限定されたもの、なのだろうと思う。ま、同一の価値体系というか、お金、という量の問題で、例えば、前にも書いたように、大きなキッチンのマンションに住むことが「カッコいい」とことであったり、ま、なにかしらのネットとの関わり合いがあることが「カッコいい」ということだったり、えっと、ま、たいがいの場合は「勝つ」ということが美しいことだったり…。
ま、釣られてやったついでに書いてみたけれど、

旅に出れば支出ばかり。

どうしてこういう考えしかできないのかと、書いた人の精神の貧しさを、そういう時代の到来を悲しく思うのだよ。
そして人には仕事より、金より大切なものがある、ということを全然分かっていないから簡単に人の職業まで押しつける。ボクという人間を見たことがあって、話したことがあって、その上で「あなたには」というのだと分かる。
自分がどれほど恥知らずな、礼儀知らずなことをしているかという認識もなくて、「金がすべてなんだよ~」と言われても…。
はいはい、釣られてあげましたよ:)

ま、このオレが女かも、って考えられるぐらいの想像力ってのは、ネットの世界では必要だね。その想像力が必要である、という覚悟がないと、もうダメダメなんだしさ。それとか、オレが実はトヨタに依頼されて書いているかも、ってことも考えられるし。考えられない?

2件のコメント

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    それは「想像」じゃなくて、決定ですよ。
    「男性です」「ありません」なんて決めてるし。
    勝手な想像するのは勝手ですけれど、それが全てではないということです。あなたは神ではないのだから…。
    #ま、神だったとしても、勝手にボクの職業を決められても困るのだけれどね。

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    こんばんわ、色々と考えましたが。
    管理人さんは
    男性です。
    そしてトヨタから依頼されてこのブログを書いている事はありません。
    と僕は想像しましたが…

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