100円ショップの蹂躙

最近の100円ショップは、植物なんてのも置いていて、驚いたりする。そのうち熱帯魚とかペットのような生き物も100円で売買されるのかもしれないと、なんだか嫌な感じがする。
別に100円ショップの人たちが生き物を粗末に扱うとかじゃなくて、100円という値段でどれだけ手をかけられるのだろうか、ということが疑問だったりする。雑貨のように置いてればいい、とか、温度管理もそれほど気を使わなくていい、なんてこととは違うのだろうし。
ミニ観葉植物、特にサボテンの土を見たことがあるだろうか。
土というか、小石を糊で固めているものがあったり、かなり粗末な土を使っていたりして、なんとも哀れな植物たちに悲しみをおぼえる。サボテン類は特に水やりも適当で良いなんて思われているので、保水性のない小石が利用されて、小石が散らばらないように糊で固めてしまっているのだろうね。
買ったらすぐに、ちゃんとした「サボテン用の土」に植え替えてあげれば成長もするのだろうけれど、ほとんどの人が、きっと、そのままの「ミニ観葉」として育てる、そして枯らすのだろうと思うのだけれど…。
ま、母の日のカーネーションだって、毎年貰って枯れずに育て上げたら、きっと家じゅうカーネーションだらけになってしまうのだろうし、業者としても「枯れてもらうほうが」利益に繋がるとしたら、消耗品ということで植物も2、3か月の単位で購入と枯死を繰返すことが、正しい経済の仕組みなのかもしれないけれど…。なんだか、そのあたりのことが、嫌な感じだったりする、のだろう。
それでも、植物を育てるということは、温度とか湿度とか、ま、陽とか陰とか、養分やら土質…なんてことを考えていなければならないので(そうではないものもあるのだけれど)かなりデリケートなことのように考えている。
きっと、それが出来ることが、というか、やろうとすることが大切なんだと思う。
過保護で根腐れになって枯れてしまった、というほうが、何もしなくて枯れてしまったよりも、いいことだろうし、鉢が狭かったから植えかえたら枯れてしまった、というほうが、なんだか分からないけれど枯れてしまったよりも、いいことだろうと、思う。
人との繋がり方も、似たようなもので、何が出来るか、ということをいつも考えている人のほうが、素敵な生き方だと思うし、いつも自分が主体となっている人ってのは、どうもボクは苦手だったり。
きっと、女性も「料理を作ってくれ」と言われるよりも「たまには作るよ」なんて言われたり、というか、女性を家政婦ぐらいにしか考えていない男もかなりいるようで、そこは植物を育てることで学んでもらいたいと、思ったり…。
ボクのように料理もできて、植物もきちんと育てられて、ま、かなり細やかに対応できたとしても、仕事がない男ってのは、問題外なんだろうけれどさ。というか、こんなこという資格もないかもなあ、なんて思ってたり、するする。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA