2009年問題はどうなった?

2007年3月に派遣法が改正されました。雇用期間がそれまでの1年から3年に延長され、3年を越して雇用し続けることを禁止したのですが、ちょうど今年2009年がその3年目で、満了を迎える派遣社員の数がかなりいること、その派遣社員を正社員化するか、いったん契約を切るか、という選択を多くの企業が迫られる、はずだったのです。契約解除による労働者不足の深刻化や、正規化によるコスト上昇、などが2009年問題です。
過去最高収益をあげる2007年、2008年での法改正でしたから、多くのメーカーにとって2009年は深刻なものだった、はずです。この問題を回避するために、例えばキャノンは12000人いた派遣社員を、期間工と請負に切り替えていましたし、トヨタ車体でのクーリングオフ事件などが起こりました。
昨年の10月から、そして1月から、トヨタ車体の「配置替え」という派遣永久使用法を行う、はずだったのです。
衆院予算委 志位委員長の質問/トヨタ車体の違法行為追及/派遣を永久に使い続ける/“労働者の配置換え”で規制逃れ:しんぶん赤旗
多くの企業も、出来るならばトヨタ車体方式をとりたかったのだろうし、派遣社員を廉価な労働力とし使い続けたかったのでしょう。(2007年の「ダイヤモンド・オンライン」の記事です)

製造業が直面する「2009年問題」の深刻度|Close Up|ダイヤモンド・オンライン
 厚生労働省の調べによると、製造業に従事する派遣労働者は、2004年8月時点で314万人。現在はこの数字を大きく上回っていることは想像に難くない。膨大な派遣労働者を、直接雇用に切り替えるコスト負担を、メーカーが受け入れるはずもない。

しかし、実際には直接雇用することもなく、クーリングオフ、トヨタ車体方式をとることもなく、偽装請負をする必要もなくなり、「派遣切り」ということにして、ポイ捨て出来たのですから、ニタニタした経営者の人も多かったのでしょう。2009年問題が「派遣切り」という大義名分を持って解決できたのですから。

派遣切り・ロスジェネを見捨てるツケ(上) – goo ニュース
じつは経済危機以前から、2006年に偽装請負問題が発覚した際に、請負から派遣に切り替えられた大量の労働者が3年の期限を迎える「2009年問題」が囁かれていた。この経済危機は、派遣契約を切る格好の口実となったのではないか。

この記事の通り「格好の口実」になったのだろうと思います。これほどまで深刻な経済状況になるとは思っていなかったとしても。
ボクの知人もトヨタの一次下請けで派遣切りされました。ちょうど3年目でです。また、製造業とは関係ないところで働いていた知人も解雇されました。景気悪化にともなう業績悪化が理由だそうです。
この記事書いていますが、派遣法が成立し施行された1985年から1987年は、バブルと言われる時代の黎明期でした。もう明るい光が見えていたのだろうし、暖かな風が吹いていたのでしょう。そういう時期にはまだ国際競争、グローバル化、空洞化、ということで労働力が問題視されていなかったのではないかと思うと、誰かが言った「ベトナムでは月給7000円よ」なんてことと派遣の問題は、関係ないようにも思うのですけれど。
結局は労働者よりも企業有利に全てが変わってしまったということ、そしてこの恐慌も企業には「神風」になったかと思うと、神も仏もいないのか、と絶望的になるのです。
派遣切りではなくて、正規化されるはずだった多くの派遣社員の哀しみは、二重にも三重にもある、ということです。
そう言えば、たつや復活してたね。
このブログの「オッペケ」のように、わずか1ヶ月の間に地獄に堕ちる人がかなりいたということです。それは本人の努力とかではなくて、なにか大仕掛けな落とし穴にはまったようなものなのだろうと感じています。

諸事情|人生の放浪者ですよ
オッペケが社員確定なった

夢散る|人生の放浪者ですよ
でオッペケ呼んで休憩室
やっぱ他の部署は社員登用は白紙でって言ってしまってるのにうちだけ引き伸ばすわけにもいかんくなったんやろね


迷故三界城
悟故十方空
本来無東西
何処南北

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