なんのために生きていますか?

なんのために生まれてきたのかと、思う。
「まみたんに一緒に死のうか」なんて言ったら笑われた。
けっこう真面目に、それにお酒も飲んでいなかったのだけれど、冗談に受け取られたのだろうね。それでも「良いよ」なんて言われたところで、それを実行することもないのだろうけれど、なんとなく、なんとなくだけれど、気持ちは沈んでいて、そこに落ちそうにもなるんだ。
それほど不真面目に生きてきたわけではないと、思う。
普通ではなかったことは確かなのだけれど、努力もしてきたと思う。その努力が足りなかったのだろうと、今は思っているんだ。確かに、血の滲むような努力はしてこなかったと思う。まだ少し余裕があったのだろう。才能や能力もなかったのだろうとも思っている。なにか巡り合わせのようなものも、悪かったのかなあ、なんてことも思っている。
Tちゃんが、どうして自殺したのか、最近分かるように思う。それまでどうも不可解な死としてボクたちは考えていたのだけれど、きっと「どうして生まれてきたのかなあ」という理由が探せなかったのだろうと思う。
Tちゃん、と「ちゃん」付けで呼んでいるのだけれど、ボクより5歳ほど年上だった。ちょうど今のボクの歳に、首を吊った。とても驚いた。
高校を卒業して都会で働いていたTちゃんは、盆正月もほとんど田舎に帰ることなく、その都会で華やかな生活をしているのだろうと、ボクは思っていた。少し自信のなさそうな仕草や、不安げな所作が、端正な顔立ちに少し影をさしていて、ちょうど檻の中で震えるアビシニアンのようだった。Tちゃん、と年下のボクが呼ぶこと、そのこと自体、彼の優しさや中性さを物語っているのかもしれない。
そんなTちゃんの都会での生活は謎の部分が多くて、ボクもそれから彼と会うこともなく、噂話でしか聞くことがなかった。その噂話も悪いものではなくて、けっこう良い生活をしているみたいよ、なんてものだった。中には「ホストになったみたいよ」なんてたぐいのものもあって、ボクはそれもあるだろうなあ、なんて思っていたし、きっと働かなくても面倒を見てくれる女性もいるかもあなあ、なんてことも想像していた。
ある日突然、Tちゃんは田舎に戻ってきた。ボクが見たのではなくて、ボクの姉から聞いた話だったのだけれど。姉が昔、Tちゃんを好きだったことは、ボクには分かっていたし、Tちゃんもそんなことからボクのに対して話しかけてくれたりしていたのだろうと思う。そんなことから、姉もTちゃんのその後をかなり気にしていたのだろうし、帰ってきたときには少し驚いたのだろうと思う。
どうして実家に戻ったのかということは、小さな田舎の街では語られることもなかったのだろう。そして人々が噂し合うということもなくて、あるとしたら夕餉に「そういえば」という感じで、表面的なことだけが話されたのだろうと思う。あるいは夫婦の枕話には、もう少し踏み込んだ話、それは想像なのだろうけれど、されたのだろうと思う。
そういう沈黙が時として精神のどこかに重くのしかかるのも、小さな田舎街の世間という狭さなのだけれど、何かがあったとしても、あるいはなかったとしても、本人と世間との差は埋められるはずもなく、いかようにも想像できるということが、さらに差を拡げてゆく、ということをボクたちは知っていて、そこの処理を間違うと、病的に精神を病んでしまう場合もあるのだけれど。そしてそれが噂話なのだけれど。するしないということは、本人には立ち入ることの出来ない領域での出来事なのだから…。
Tちゃんは実家の事業の手伝いをしたり、親戚の家の手伝いをしていたそうだ。真面目に働いていたそうだし、相変わらず少し自信のなさそうな仕草や、不安げな表情が、見ている人を優しくしたいたのかもしれないし、時には母性というものをくすぐったのかもしれない。
遊ぶということ、例えば歓楽街に出てスナックで飲むとか、パチンコやギャンブルをする、ということもなかったそうだ。母親と長男夫婦、その子供たちとの食事をして1日が終わるということの繰り返しだったのだろう。それでも毎日晩酌はしていて、その晩酌がひとりの部屋でも続いていたということだった。それも噂でしかないのだけれど…。
そんな生活が2年ほど過ぎた。何もない日々がそのまま流れていったのだろう。ほとんど同じような1日が、まるでコピー機で送り出されるように、重なっていったのだろう。普通はそういう生活を幸せな日々だと思うのかもしれない。実家に住んでいるということは、それほど責められることでもなくて、まして仕事をしているのだし、本人がその気ならばアパートを借りて、そこから通えば良いだけの話だったのだろうし。
姉も「Tちゃんは、元気よ」なんて言っていた。たまに話をするとも言っていた。2年もすればすっかりそこでの生活に慣れてきて、なにかが始まる頃だろうと思っていた。Tちゃんもきっと自分の楽しみとか、自分の将来なんてことを…。
と思っていた。
楽しみや将来のこと、とは一体なんなのだろうと考てしまうと、そこで行き止まりになる。例えば結婚して子供を産んで…。そういう「普通」とか「ありふれた」とかいうことが将来だとしたら、それをあの小さな田舎街で考えたとしたら、そうしてそれがどこよりも「普通」だとされる場所だったら…。
もう逃げ場がなくなったのだろうね。
そして「何のために生きているのだろう」とか「将来はどうしよう」という、ほとんど同義反復の問答が続けれれる。同時にそれは内省となっては、自分を責めることに繋がる。
「なんのために生きているのだろう」
「なんのために生まれてきましたか」
甘えるな!!元派遣社員…仕事えり好み、覚悟サッパリ – Infoseek ニュース こういう意見も多い。確かに、選んでいる状況ではないのも確かだろうと思う。
でもね、起きている8時間、あるいは9時間、それは生きている時間の半分、出勤時間やそれに関わる時間を入れるともっとなのだけれど、その仕事が「ただ生きるため」とか「食うため」とかいう理由だけになってしまうと、何が残るのだろうか、と思う。
「斡旋」だけの「雇用創出」が行われる。創出ではなくて人手不足解消ということだけで語られる。本当に雇用というものを創出するということならば、なにか新しい雇用に対する取り組みを行ったり、労働を確保した上で生活保護を支給する、職業訓練を受講させる、ということでなければ、問題の先送りだけになってしまうのだろうと思います。
もう何に対しての夢とか希望もなくて、ただこのまま生きて、そして寿命が来たら死んで、ということしか残っていないようにも思う。絶望とまではいかないとしても、それほどの無気力な日々を過ごしている。
なにかまだ、将来への夢とか希望がある人は、楽しいのだろうと思っている。若い人は結婚とか子供とかもあるのだろうね。いろいろなもの、体力やら気力やら、そして夢やら希望やらが低減しているボクなどは、ため息だけの毎日、そしてやっぱり、「何のために生きていいるのだろうか」なんて考える日々なのだけれど。

12件のコメント

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     何のために生きてるのか分かりません・・・

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    感傷的過ぎんだよ。お前はよ!何抜かしとんだ!

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    >名無しさんへ
    「来てくれたら」って自衛官ですか?
    >ハタチの期間工さんへ
    まだ20歳だと夢も希望もあるでしょうね。今から学ぶことだって出来るのだし。非正規ではないブルーカラーと言われる人たちには、まだ希望もあるでしょう。
    上の自衛隊の話もそうなのですが、基本的なこと年齢での区別が格差の前にある、ということを考慮していないと、おかしな話になりますよね。今の派遣切りの問題もそうです。
    公共事業も、土木や戦争だけではない公共事業を創出しなければならないのでしょうし。例えば福祉を公共事業で行うとか。国営化してもいいかもしれないとも考えています。
    奨学金は、滞納理由にもよるでしょうし。ボクも返済しましたけれど。
    20歳ならまだ可能性は山ほどあるでしょうし…。
    >しおまるさんへ
    お久しぶりですね。
    そうですか。少し頑張りすぎたのかもしれませんね。暗いニュースも多すぎましたからね。家族と一緒に住んでいれば気持ちも安らぐのかもしれませんね。
    きっと、気持ちも身体も疲れているのだろうと思っています。良い機会なのかもしれませんね。ゆっくり休むということは。
    向山公園の梅も咲く頃でしょうね。梅まつりも始まったのかな。公園の中央にあるあずまやでのんびりしたいなあ、なんて思ったことがあります。桜よりは梅のほうが落ち着いていて好きです。
    渥美半島の菜の花まつりも始まっていますよね。今年は「どんぶり街道」なんてのもあるらしくて。夜行くとライトアップされていて綺麗なのでしょうね。
    あと、鬼の祭りがありますよね。これは節分だったかなあ。
    季節的には休憩するのには良い時期なのかもしれませんね。ボクも時間はあるのですが、どうも引きこもりになってしまって…。それでも買い物に行かなければならないので、出かけますけれど。
    買い物もなければ、外に出ることもなかったりで…。ハロワにも行かなければならないし…。1日は終わるし、という感じです。明日はハロワに行こうと思っています。

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    お久しぶりです。
    現在うつ病で2ヶ月ほど会社を休んでいます。
    1月末で豊橋に戻ってきました。
    医者からは死ぬことを考えるのだけは止めてくださいといわれます。もう少し人生休憩するつもりです。

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    何のために、誰のために生きているのか、期間工に来て、知らない土地で知らない土地から来た人達に出会い、それぞれの経緯の終わりには、やはりタイトルの様に、何のために生きているのか分からないと聞くこともありました。
    かつてブルーカラーの職業に従事する人達が、金の卵と言われた時代の様に、まだこの国と人々に当たり前に希望があれば、結婚をして家族を養い、その後の人生にも大きくはなくても希望は持てたはずです。
    ですが、今は道路や建設と云う公共事業も減り、笠山さんがおっしゃった様にこの国唯一の資源である人材は余剰し、誰もが同じように希望が持てなくなる格差まで表れてしまいました。
    誰もが平等に学業に勤しむよう創られた奨学金制度も、滞納者には罰が下される様になりました。
    果たして、専門的知識を持ったとしても、その職に全員が就くことが可能なのでしょうか。
    そんな色んなこと考えてる内に、僕も何のために生きているのか分からないと思う様になります。
    誰が、何が悪いのではないのでしょう。
    何と言いますか、希望格差が露骨になる前の様に、前向きに希望を見ようとしても、今の時代がそうさせてくれないと思います。
    この一週間に、重松清さんの著書、(疾走)と(流星ワゴン)を読み直しました。2つとも、(生と死)について考えさせられることばかりでした。
    笠山さんも読んだことがなければ、機会があれば読んでみて下さい。
    夜分に失礼しました。

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    確か26までなら入れますよたまに27もいますけど田原さんの様な人が自衛隊きてくれたら面白いと思いますけどね

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    >るいのととさまさんへ
    ありがとうございます。
    そうですね、なんでもないことを、ということなのでしょうね。ただ、最近は外にも出なくなっていて…。今日は誰とも会ってないし。こういうのはダメですね。
    >英彦山さんへ
    今日の銭ゲバでも、そのことに触れていましたね。そしてやっぱりそれが一番の幸せなのかもしれませんね。
    でも、そこまで行けない人もいるってこともあって、そこが今の格差とか非正規の根本的な問題だと思っています。
    >三河湾さんへ
    労働は、個人の欲望達成とか個人的やりがい、なんてことではなくて、社会貢献ということが初めにありきなのでしょうけれど。義務でもあるし。
    もうスリム化していますよね。セグメント化とかモジュール化なんて、ライン作業がそうですよね。車を造っているという感覚もないし、そこからどう社会と関わっているのかということが見えなくなっているのが、超個別単純作業なのだろうと思っています。
    製造業ではその傾向が強いのでしょうね。人が仕事の先に見えないし。
    そのあたり、人と仕事の関わり方ってのは難しいのかなあ。
    >風なりたいさんへ
    そうですね、生きることに理由はいらないのでしょうね。とにかくなのでしょう。
    生きるとしても、生きるだけということになると、いろいろなこととの関係を断ち切らないといけないのだろうし、なんてことを考えていたのです。
    例えば、こうして考える時間もきっとなくなるのかもしれないと、思ったりもしています。
    >名無しさんへ
    年齢は無制限なのでしょうか?
    例えば、今、本当に困っているのは、氷河期世代、ロスゼネなんて言われる年代から上の人たちだろうと思います。35歳なんてなると、その自衛隊もダメかもしれませんね。

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    自衛隊入れば余裕で変われるよ

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    死に恐怖を与えなければ、人はみんな死んでしまうのですよ。私がそうです、死ぬ勇気、度胸がありません。
    ゆえに生き繋いでる感じがします。
    しかし、いいえ、やはり奇跡の結晶である命は生き抜くべきです。
    いつかは生きたいと思っても力尽きるのですから。
    理由などいらないんです生きることに・・・
    わたしも弱いですよ、でもなんとか生きてます。

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    難しい話題ですね。
    11月下旬の碧南、モンシロチョウが羽化して飛んでました。「おい、おい、この時期羽ばたいて大丈夫?仲間はいるの?」心の中で思いました。みんな一人では生きて行けないから…
    21世紀はくだらない人間関係など淘汰されて、全てにおいてスリム化されそうです。(アメリカが正しいの?大企業の目線で進めたらおかしくならない?)
    20年位前の中小経営者の中には企業利益だけ求めてアメリカ手法最高みたいに言ってた『ボス』みんなに嫌われてたね!知ってた?
    みんなが金のゆとりとかじゃ無くてさ、心のゆとりとかに価値を見出だせればいいのになぁ~と今日は思いました。

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    こんばんは。
    なんのために生きているのか? 赤ちゃんが生まれたら 家族は喜びますよね。『この子は なんのために生まれてきたの?』なんて言う家族は 少なくとも いないはずですね。 人間は愛情を子孫に残して いくために 生きてるんじゃないかな? 家族の 喜ぶ姿が 見たかったりね。
    失礼しました。

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    とても引き込まれる文章でつい書き込んでしまいました。
    「なんのために生きているのだろう」って考えた頃は確かにありました。私は答え出ません。答えじゃないけど「仕事して飯食って糞して寝る」言葉にすると単純で素っ気ないですが、その間の中に些細なことでも喜びがあったりします。些細な事でもかんじれらるように心のアンテナ立てていたいです。

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