そろそろ人間も100円ショップで売られると思う
ダイソーで買ったざるを洗いながら考えた。引っ越してきた時から使っているざる。元は取った、のだろうけれど、こんどは愛着がわく。愛着の前にもったいないという気持ちも起きる。歯ブラシで洗う。30分ほど掃除をしてピカピカにする。その労力を考えると、捨てて新しいものを買ったほうがコスト的には適っているのだろう。
埋め立てゴミの日にはそうして打ち捨てられた物たちが集積場に溢れかえる。いろいろなものが多様化して、物の価値も多様化してしまった。100円のざるを洗いながら考えていた。
捨てられるのは物ばかりではなくて、人も簡単に捨てられる。人の価値が多様化したというよりも、人が非情になったのだろうと思う。
100円で色や形、手触りなんてことまでも要求して、やっとひとつの物を買う。運命の出会いのように大事に持ち帰る。そして時間の経過とともに、「やっぱり100円は」とか「100円だからしかたないわね」なんていい始める。やがていつ捨てるかということを考え始める。そしてゴミの日に何もなかったかのように打ち捨てる。
少しだけの罪悪感はあるらしい。少しだけ良心の呵責に苦しむらしい。そして自分も被害者にしてしまうことで、それらの責苦を相殺しようとする。「100円はダメね」とか「使いにくくて苦労したもんね」とか。
そんなことを考えながらボクはうどんを茹でる。そして昔のことなんかを思い出す。
子供の頃、子猫を捨てた。ダンボールの船に乗せて海へ流した。まだ目が開いていない子猫たちは何が起きたのか分からないまま、ミャーミャーと鳴いていた。そしてボクはお祈りをする。「ネコ、ネコ、オレじゃないぞ、林の竹の子ぞ」。ボクは林の竹の子になってそこに突っ立っていた。そして静かに波の上に浮かんでいる箱を確認すると、そのまま走って帰った。
どこに行くのかは分かっていた。見ないことで新しい解釈が生まれる。その先のことをどのようにも想像できた。箱に入れて、少しの食べ物とともに沖に流すことで、気持ちは救われた。
あらゆる罪はダンボールの中に押し込んでしまえば贖われるのかもしれない。少しの金や食べ物と一緒に。そしてボクたちは箱の中に入れられて捨てられる。
箱の外にはこう書いている、「失業対策」。
ボクたちはゆっくりと沈んでゆく。空腹を満たすことなく。
解雇:従業員23人を施設に置き去り 福岡の会社 – 毎日jp(毎日新聞)
多くは「あてがないなら北九州に行け、と言われ、車に乗せられてセンター前で降ろされた」と話した。その際、現金1000円を渡された人もいた。
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変態トヨタ社員 そろそろ人間も100円ショップで売られると思う 入笠山・・・・プー子車サイクリングそして!!