さよならのコンビニ

コンビニは、時としてタクシー乗場になる。タクシーを呼ぶのに分かりやすい場所であるし、駐車場があり、そして待つということにもとても便利な場所だ。
降車の時も、家の前よりもコンビニの前で降りたほうが安全な場合もあるだろうし、そうする若い女の子も多いように思う。路地の暗がりが怖い、ということもあるだろうけれど、タクシー運転手が怖い、という人も、きっといると思う。
ある雨の日の話…。
ボクは配車を受けて、とあるコンビニに向かった。10分ほどで着く。ドアを開けて若い女性がボクのほうにやって来た。
「○○ですけれど」と、彼女は名乗った。
ドアを開け「お待たせしました」と言ってボクはドアを閉めた。そして行き先を聞くと、そこから少し離れた街の名前を彼女は告げた。
彼女を乗せたコンビニは郊外にあり、車で来店する人が多い店だった。ボクたちが向かおうとしている少し離れた街からタクシーを使って買い物に来る場所でもなかった。
なぜ彼女がそこにいるのか、そうボクは不思議に思った。
そこが、例えば同じ郊外でも、墓地だとしたら、ボクはそんなに不思議に思わなかったに違いない。往復タクシーで墓参すると言う人は少なからずいる。経済という国家を支えているものは、定住農耕文化というよりも、狩猟移動文化に近い。ボクたちの行動範囲はグローバルになっている。人は高速移動できるようになった。いや、高速移動することを目指してきた。
だから沖縄に住んでいる人が、例えば向山墓苑にいても何も不思議ではない。そしてタクシーで駅ではなくて、郊外の親戚の家に行くということもありえる。
しかし、その郊外のコンビニに沖縄の人がいて、そして少し離れた街まで行くなんてことは、かなりレアケースだと思う。
そう考えていた。
彼女は沖縄に住んでいるわけではないけれど、それぐらい不自然にボクには思えた。降りしきる雨がその不自然さに拍車をかけた。夕暮れの薄暗さに、ボクは何か違う世界にいるようにも感じていた。
しばらく進むと、彼女の鼻をすする音が聞こえてきた。ボクは風邪、あるいは花粉症で鼻水でも出ているのだろうと思っていた。ルームミラーは少し上を向けて、後部座席の彼女が見えない位置にしていた。その位置を直して彼女を見る、そういうことは憚られた。
10分、それぐらい、ずっと鼻をすすっていた。その合間に嗚咽も聞こえてきた。
泣いている、そうその時に確信した。タクシーに乗ってから彼女は泣いているのだ。風邪でも花粉症でもなくて、涙と鼻水、それを我慢しようとする音だったのだ。
ボクは何か言ったほうが良いのかもしれないと考えていた。考えていたのだけれど、言葉に出すことはなかった。
暫くして、彼女の告げた街に近づいて来た。「次の信号を曲がりますか?」それがボクが発した言葉だった。「はい」と、彼女は言った。曲がると、次の道順を教えてくれた。
彼女の告げた場所に着いた時には、すっかりと夜の中にボクたちはいた。走る雨が街灯に浮き上がっていて、跳ねているようにも、あるいは、上に登っているようにも感じた。
「ありがとうございます」とボクは料金を言った。
そしていつものようにお礼の挨拶なんかを言って彼女を降ろした。ドアを閉める直前に彼女と目が合った。一瞬だけ。ボクたちはどちらとも、たぶん同時に、視点を移した。そしてボクは彼女が座っていた座席のところを見ながらもう一度「ありがとうございました」と言った。彼女も「ありがとう」と言った。
きっと、彼氏とデートの途中に喧嘩別れしたのだろうと思った。そうして、一番近いコンビニに寄り、帰るタクシーを呼んだに違いない、そう思った。
ボクたちは、人を運んでいるのではなくて、そういう哀しみなんていう想いを運んでいて、それはかなり高密度の時間、彼女たちの数年間の記憶なんていう圧縮された時間、そんな貴重なものまで運んでいるんだろうと思った。
かけがえのないものに参加している、そう思うと、タクシードライバーはいろいろなものを運び、移動している、けっこう神聖な職業なのかもなあ、なんて考えた。そして「おくりびと」なのかもなあ、そう考えた。
哀しみや苦しみを、ごっそり切り取って、あなたを違う場所へお送りします…。その先には、慰安が待ち受けている。それがタクシーなのかもしれないと思った。
向山の桜
向山の桜、散る

2件のコメント

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    ルノアさん、こんにちは。
    ありがとうございます。
    狭い室内で一対一になるタクシーというのは、哀しみや喜びをその時に一番身近に共有できる場所のなかなあ、なんて今思っています。
    人にドラマあり、そう考えると、運を転がす手なのかなあ、なんて思ったりもしているのですが…。

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    今回までのブログを全て読みました。
    そして、この回の文章は、秀逸を極めています!!!

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