豊川炎上

豊橋、早朝5時…。
立秋を過ぎたからなのか、それとも夕立のせいだろうか、朝夕は少し過ごしやすくなってきたように感じる。部屋の冷房を止めて、開け放った窓から入り込む風にも秋の香りが少しするように感じるのも、きっと立秋という言葉のせいなのかもしれないと思っていたり…。
この週末から夏休みになった企業も多いのだろう、帰省した、あるいは、帰省する人たちが大きな荷物を持って駅の階段を上り下りする姿を目にすることが多くなった。昨夜は「同窓会」というお客様を乗せた。
高校時代の同窓会なら、たとえ20年ぶりに再会したとしても当時の面影をかなり残していて「あ、誰々君」なんてすぐに思い出すのだろうけれど、小学校の同窓会、それも30年ぶりなんてことになると、きっと「あ、誰々君のお父さん」なんてことになるのかもしれない。
男も女も40歳を過ぎると「あの頃」とは別人になってしまっている人も多くなる。人生の苦楽が人の外見を変化させるのだろう。お肌も身体も曲がり角という年齢、髪が抜け、歯が抜け、いろいろな部分が弛み萎える、そのかわりにお腹周りに脂肪を蓄えて、加齢臭なんてものも追加されて、「あの頃」よりもパワーアップしていたりして、立派なオジサン、オバサンになっている人も多いのだろうね。
あの頃、夏休みは、ラジオ体操だったり盆踊りだったり…。姉が帰省するのが待ち遠しかったり、そのぶん別れが悲しかったり。
向こうの海には入道雲があった。ヒマワリのがまん強さ。夕立の匂いの淋しさ。線香花火の空しさ。背中の肩の部分から日焼けの皮がむけ始めた。すっぱいトマトには砂糖を付けて食べた。薄いカルピスの味。「夏の友」の乾いた表紙。サンダルの日焼け跡。カレーライスの匂い。盆踊りの太鼓の音。蝉の声。雷の音。朝焼けの朱…。
夏は、というか、夏の思い出は、少し悲しい。
朝焼けで燃える豊川

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA