七月の雨

少し哀しいのは、きっと、遠い故郷のことを想い出したからだろう。雨の日には父や母や姉たちのことを想い出す。あの頃、ボクたちがまだ今よりも貧しくて、そして今よりもずっと幸福だった頃、いつも雨の日には父がハーモニカを吹いていた。
扇風機が蚊取線香の煙を撹拌していた。高い天井の隅っこには家蜘蛛が潜んでいた。雨が夏の火照りを鎮めていた。
あの頃、ボクたちは蚊帳の中で眠っていた。クーラーなんてなかったのだけれど、開け放たれた窓からは真夏でも涼しい風が入っていた。寝冷えしないように夜中に布団を掛けるのが母の日課にもなっていた。
そういえば畑でできたトマトに砂糖をつけて食べていた。酒を飲まなかった父の好物は甘いものだった。黒砂糖がいつもお茶うけに出ていた。砂糖はまだ貴重な時代だった。病気になるとミカンの缶詰を買ってくれた。どうしてか知らないけれど、きまってミカンの缶詰だった。それを兄弟で分けた。誰かが病気になると缶詰を食べることできたのだ。
あの頃を想い出してミカンの缶詰を買うことがある。なんでもない味がする。
バタークリームのケーキだってそうだ。あの頃はとても贅沢な味だったのに、今ではいつでも食べることが出来る。あの頃、ボクたちは貧しくて、今では信じられない物が贅沢だったりした。カレーライスにはクジラの缶詰が入っていたり、片栗粉でとろみを付けていたりした。カルピスに驚いたりもした。
貧しかったのだけれど、幸せだった。
ボクたちにはまだ夢も希望もあった。貧しさがそこいらにあったのだけれど、夢や希望もそこいらに散らばっていた。
そんな昔のことを想い出していた。ボクはタクシーの中にいて怖いほど降っている雨の中にいた。少し哀しくなった。父は死んでしまったし、ボクたちは大人になりすぎた。母だけがまだあの頃のままで相変わらず夜中に子供たちの健康のことを案ずる日々を過ごしている。
ボクたちは少し豊になって、そしてあの頃のようにいろいろなことに驚かなくなったし、あの頃のように分かち合わなくもなった。あの頃よりも少し豊で、そしてあの頃よりもずっと不幸になった。
窓を閉め切った車の中でボクは完全なひとりだった。もうそれ以上ないというぐらいのひとりだった。お客さんを乗せない限りボクはひとりだった。雨がボクのひとりを完全なものにしていた。
空地に車を停めてボクはしばらく雨の中にいた。「雨の中」、そんな感じだった。ちょうどあの頃の蚊帳の中の感じがした。
豪雨の豊橋マルエイ前
豪雨、マルエイ前

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