節電の夏・・・

今年の夏はいろいろなことがあった。
こんな年齢になっても、中学生の頃のように、いろいろなことを悩んだ。生きるということは難しい。ボクとしては、権力とか出世とか欲望なんてことから遠ざかったところで、ひっそりと、そして、こっそりと生きていたいと思っているのだけれど、人の中にいるといろいろなことに巻き込まれる。
誰もいない待機場で日がな一日空を眺めているのは好きだ。海の見える波止場でお弁当を食べるのも気にいっている。人と話すことが年齢とともに苦手になってゆく。というか億劫になってゆく。出来れば黙って生きていたいと思う。
ああ、そう言えば、そんなことを中学生の時に考えたっけなあ。言葉についてとかさ。いくつになっても同じことで悩む。人なんてのは成長しない。大人になるということもない。
この台風が夏を追い出して、その後には秋がスルリと足元に忍び寄るのだろうね。35度を超える日はあったにしても、猛暑と言うほどでもなかったような今年の夏。節電をしたつもりはないのだけれど、結果的にはかなり節電になっていた。休みの日は24時間エアコンを点けていたのだけれど、それにテレビも無駄に点けていたのだけれど、8月分の電気代なんての1400円も去年より安かった。なんで?
きっと意識下で「節電しなければ」なんて正義感みたいなものが蠢いたせいだろう、なんて考えている。それにしてもこの節電はスゴイ。やっぱり気温の差がそのまま電気代になったのかなあ。
中電管内では浜岡原発一基分ほどの節電になったらしい。それもスゴイ。

中電が6月末に公表した計画での7、8月のピーク電力の予想値は2622万キロワットで、これを102万キロワット下回った。渡辺氏は「(102万キロワットのうちの)大半が節電という感覚だ」と話し、家庭や企業での照明や空調稼働などの抑制効果で100万キロワット近く減らせたとの見方を示した。浜岡原発は原子炉が3基あり、出力は110万~138万キロワット。下回った電力はこれらの1基分の発電能力に迫る。
節電100万キロワット「原発1基分」 今夏の中電管内:電力・節電(中日新聞:CHUNICHI Web)

こんな記事を読むと「原発なんて不要かもね」なんて考える人が増えるのだろうね。反原発派にとってはとても喜ばしい出来事、そして記事なんだろうね。

電力供給への不安から、企業が生産拠点を海外移転させる動きも出ている。空洞化が加速し、雇用の減少に波及しないか心配だ。
東電など電力各社は、原発停止の電力不足を火力発電の追加で補っているが、そのコストは年3兆円と巨額にのぼる。いずれ電力料金の上昇につながろう。
原発の再稼働は、産業空洞化を防ぎ、日本経済が震災から本格的に立ち直る必要条件である。
電力制限解除へ それでも原発再稼働は必要だ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

まあ、これもごもっとも。なんだけれど、安全ということをコストで考えていた結果が福島なんだろうし、そのコストが全て産業界に振り分けられるってことでもないし、電力料金の上昇はもっと違った方法で抑制されるべきだろうし、日本経済なんてのはその3兆円よりももっと深刻な円高のボディブローでふらふらの状況なんだし。
原発問題以前に空洞化は加速していたし、雇用の減少も起こっていて、それが非正規雇用の問題だったのだし。企業トップの意識改革のほうが原発再稼働よりも必要条件なんだ。コストコストと目先のことばかり考えてきた結果が今の日本経済の地盤を沈下させたのだから。
企業トップもだけれど、組合の意識改革も必要だろうね。自分たちのことばかりではなくて、日本経済のために組合よりも国民優先という立場にたって、例えば「賃金1割カット止む無し、国家のために正規雇用の拡大を」なんて言ったらどうなんだ。まあ、そんな視野の広い人はいないか。自分たちさえよければ国家が滅んでも、なんてことだろうしね。
ま、そんなこと考えていたら、原発再稼働して企業活動が活発になり雇用が拡大したほうが良いかなあ。日本の技術力をもってすれば事故が起きてもこの国が亡びることもないだろうしね。日本経済の衰退はこの国の滅亡にも繋がるだろうしね。
原発で死にますか?、貧困で死にますか?、どっちにする?なんてことなんだろうね。オレは、原発のないところで生活するだけだから、どっちかというと原発賛成だけれどさ。だってみんなそうやって生きてきたわけだしね。みんな他人事だったわけだし。沖縄のことなんかにしてもね。
ということでおしまい。
電力消費グラフ
我が家の電力消費グラフ。低圧深夜電力量は入っていません。電力量と電気料金の差はその分です。

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