そういえば月刊Supli

台風、こんな悪天候な日はタクシーも忙しい。いつもは自家用車を運転して買い物に行くおばさんたちも「こんな天気じゃ運転するのが怖くてねえ」なんてことでタクシーを利用する。タクシードライバーだってこんな日は怖い。「運転のプロ」と世間では思われているらしいけれど(?)、けっしてそんなことはないし、だいたいこんな嵐に日にプロもアマチュアもない。事故が起きるもの、車が浸水するのも、物がぶつかるのも、「運」次第なのだ。
まあ、その「運」を引き寄せるテクニックみたいなものを、ボクは知っている。知っているとしてもそれが全てではない。とはいえ、その運を引き寄せるテクニックを知っているものだから、もう20年近く無事故無違反なのだけれど…。
事故なんてのは「運」なのだ。その「運」ってのは「時間」なのだ。時間をコントロール出来る者が、事故や違反を無くすことが出来る。簡単なことだ。ここでは詳しくは書かない。そのうち論文として学会に発表するとは思うのだけれど、それとて「ん?」と思えば、こっそりとしまっておくことになるかもしれない。それもこれも「運」なのだ。だって、その簡単なことを誰もが実行することになると、ボクの「運」ってのが希薄になるからさ…。
「運転するのが怖くてねえ」とタクシーという選択をしたおばさんたちは「運」を知っている。きっと「運の法則」を知らないとしても、なんとなく分かっているのだ。なんとなく分かっているから「怖くてねえ」と考え、タクシーを利用できるほどの経済的余裕があるのだ。そして車の自損や浸水、あるいは人身事故ということからのリスク回避をする、という選択をする/したのだ。それもごく自然にだ。
さて、月刊Supliの読者プレゼントに当選したのは少し前のこと。月刊Supliとは東三河地方のフリーペーパーだ。久しぶりに応募したらまた当選してしまった。
これは「運が良い」のではない。「応募する人が少なかった」だけのことなのだ。こんなことで「運が良い」なんて思う人は、よっぽど運のない人生を送ってきたのか、あるいは自分が授かっている運ってものを知らない人なのだ。
なんてことを書きながら、自分の人生を振り返ってみると、あまり運の良いものではなかったようにも思う。なんて思うことも結局は「自分の授かっている運ってものを知らない」だけのことなのかもしれない、なんて自分で書いたことについて考えたりして自省したり…。
まあ、こうして何もない人生を送っていることが最大の運なのかもしれないし、こうして嵐の日が休日なんてことが強運の持主の証だったりするのかもしれないと、考えたりしている。
自分が思っている「運が良い人生」なんてのは結局はそれほどのものではなくて、その運の良い人生にたどり着いていたとしたらまた違った不運が待ち受けていたりしていて、もうあの世の住人だったりするかもしれない。例えば「車も買えない給料」なんてことを「運が悪い」とするのではなくて、車を買える人生を送っていたとしたら、今頃は人身事故を起こして塀の向こうで暮らしているかもしれない、そう考えると「車も買えない給料」ってのは「運が良い」人生なのだ。
結婚して家も建てて、ローンに追われ、子どもは引籠りと不良……、それよりはこうして気楽にタクシー運転手としてその日暮らししていたほうが幸せかもしれない。
自分の子どもの将来、そしたまたその子どもの将来なんて輪廻的苦悩よりは、ひとりだけの人生を完結するってこと、解脱的幸福のほうが、よっぽど幸せかもしれない。
そう思った。そう思ったら、少しは楽になった。
「笑顔とご飯、一杯のお酒、少しだけのお金、人生楽しく」なのだろうね。
月刊Supli当選通知

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