ジーンズショップアメリカ屋、臼杵市でのこと

ジーンズショップアメリカ屋の店員だったNちゃんはボクより10歳ほど年上だった。高校生だったボクたちのアイドル的、というよりも、女神みたいなもんで、用もないのにアメリカ屋に行っては仕事の邪魔をしていた。学校をさぼって、一日中Nちゃんの後ろに隠れていたこともあった。

恋とか愛とか、そんな感情ではなくて、もちろん性の対象でもなかった。なんなんだろう、あの頃、ボクにとってNちゃんは遠い国の人のようでもあった。小説の中の人、彼女の全てが不思議で新鮮で、そして少し怖かった。

うまくコミュニケーションできずに、何も喋らない時間、例えば1時間とか2時間とかの沈黙も、そんなに苦痛には感じなかった。その沈黙の間にNちゃんの横顔をのぞくと、ボクの視線に気づいたのか気づかないのか、微笑んでいた…。

恋とか愛とか、そんな感情ではないにしても、Nちゃんのことを考える時間はボクの生活の一部になっていたし、それがボクの生きる力みたいなものにもなっていた。「明日」というフレーズが「Nちゃん」という名前に繋がっていたのだから。

なんなんだったのだろう。恋とか愛とか、そんなものではなくて…。きっと信仰みたいなもの、だったのかもしれない。そう今は考えている。ほんとうに、なんだったんだろう。ただ、座って、ただ、黙って、いた。

Nちゃんに会いにアメリカ屋に行った

20年ぶりぐらいにその街を訪れて、アメリカ屋のある商店街へ行ったのだけれど、お店はなくて、もちろんNちゃんもいなかった。

ボクは何度も何度もその商店街を往復して、あの頃のボクのことを考えていた。

もうすでに、中学生のころから人生を斜めに歩いてはいたのだけれど、それでもその道を踏み外すということも出来なくて、安全な場所を選んでは、その幅の中で遠回りしていた、ただの臆病者…。

何往復かした。夜がボクのまわりをすっかり取り囲んでいた。雨の匂いがした。

雨降りのバス停、夜の隙間に想い出を探していた。空にあるのは雨粒だけの漆黒の闇に塗りつぶされた夜の隙間には今の淋しさばかりがニュルニュルとした手触りでそこにあった。
……。

シルバーロード。商店街だった頃の看板が懐かしい【大分県臼杵市】 – 臼杵のえんどうさんち: 臼杵市の観光・ニュース

豊橋グランドホテル

あの日、雨降りの道玄坂、バスを待つあなたの
淋しさに声かけたの気まぐれじゃなかったわ

ふきのとうの「雨降り道玄坂」をYouTubeで聞いている夜…。

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