藤川優里さんがやってくるよ

「美人すぎる市議」藤川優里八戸市議が11月14日に豊橋にやってくるらしい。
豊橋青年会議所主催の「とよがわわーるど2010~どうすれば東三河はひとつになれるのか?」というパネルディスカッションのパネリストとしてやってくるらしい。
「とよがわわーるど2010~どうして藤川優里なのか?」なんて考えたのだけれど、きっと大人の事情、やんどころなき「つながり」だったりするのだろうと思った。「客寄せパンダとしては格安だったりするのだろうなあ」なんて声も聞こえる。根本幸典豊橋市議の愛知県議選の応援演説にも来るかもしれない。それはそれで「つながり」だったりするのだろうし…。
同じ会社にいても、同じ目的を持っていたとしても、ひとつになることは難しい。それは家族という人の基本的集団にしても同じことだと思う。利害関係が一致したとしても、そのプロセスの違い、あるいは個人的な好き嫌いなんてことから、ふたつになることが多い。というか元々人間なんて利己的な生き物なのだから、ひとつになるなんてことは不可能なことなのかもしれない。
ああ、それでも宗教は人をひとつにするか。というか幸福とか希望なんてものを感じさせる力が必要なのかもしれない。
そういえば吉田拓郎さんの唄に「ファミリー」ってのがあった。「無人島で」というアルバムに収録されていた。実家にはそのレコードが今もあるはずで、ふと今のボクの境遇みたいなものと、へんに一致することに少し哀しくなったりする。
ファミリーというのを切り捨てて、無人島のような街に住んでいる。まだ母が生きている間は、その実家という感じも少しあるのだろうけれど、きっとそのうち「生まれた場所」みたいな、例えばどこどこの産婦人科で生まれた、なんて重量のものでしかなくなるのかもしれない。
そのボクが生まれたところも、合併で名前がなくなったし、小学校も中学校もなくなってしまった。今はコミュニティーセンターと福祉施設になっているらしい。
政治的な人は、なにか政治的なことをやりたいのかもしれない。なにかを変えることが正義だと思っている人もいるだろうし…。

怒れる時 あらば その怒りを
いずこへ 向けるのだろう
悩める時 あらば その悩みを
いずこへ 向けるのだろう
喜ぶ時 あらば その喜び
いずこへ 向けるのだろう
悲しむ時 あらば その悲しみ
いずこへ 向けるのだろう
My family my family
ひとつになれない お互いの
My family my family
愛を残して 旅に出ろ
ファミリー 吉田拓郎 – Uta-Net

社団法人 豊橋青年会議所 – 事業概要

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