子どもの嘘

子どもの頃、近所に住んでいた(というか少年期の人間関係ってのはすべて「近所」なんだけれど)Aくんは珠算教室に行っていて、週一回土曜日だったのだけれど、その頃流行っていた土曜日夕方のテレビアニメを見ることが出来ないことを残念がっていたし、そのことをボクにもらしたことがあった。
Aくんは勉強も運動も出来た、いわゆる「良い子」だった。A君の家と珠算教室として利用されていた公民館の間には小さな納屋があって、その中には漁師さんが使う網だとかロープなんてものが入っていて、狭くて薄暗くて、ちょっと湿っぽい、そしてそのことがあの独特な磯の香りを強めていて、ボクたちを興奮させていた。たぶん、あの香りにはそういったフェロモンみたいな物質が含まれているに違いない。
あの頃は土曜日も授業があって、午前中だけだったのだけれど、それが終わるとボクたちは日暮れまでたっぷりと遊んで、そして夕食の時間に合わせて帰って行った。テレビアニメもその時間に合わせていて、夕食の時間というよりもテレビの番組に合わせて帰って行ったというのが正しいのだろう。
Aくんは、遊んだ後そのまま珠算教室に行っていた。青い算盤ケース、いつだったか、その算盤の滑りを良くするという粉みたいなものを自慢したことがあったのだけれど、ボクにはそれがうらやましくもあった。うらやましくあったのだけれど、ボクはなぜだか算盤なんてのを習うことを躊躇っていたし、親も「行く?」なんて勧めてくれたりはしたのだろうけれど、「行かない」なんて断っていた。週一回2時間なんてのはそれほど長時間でもなくて、子どもの頃のたっぷりあった時間の中ではわずかな、例えば産まれたばかりの子犬を2時間ぐらい眺めていたこともあるんだし、そんなに重要な重量のある時間でもなかったんだ。
Aくんから「珠算教室に行っていない」ということを聞いたのは、6月だった。あの小さな納屋の中が一年中で一番匂う梅雨の頃だった。Aくんは特に珠算教室で何かあったとか、あるいは、人よりもおぼえるのか遅いなんてことが理由で行かないということではなかった。そして教室をさぼって何かをするという明確な理由があったわけでもなかったのだ。
「ねえねえAくん、どうして行かないの?」とボクがたずねても「う~ん」と言うだけだったので、ボクももうそれ以上、たとえ興味があったとしても、理由を聞くことはなかった。ただ彼はその2時間という時間を小さな納屋の中で過ごしているということだけは話してくれた。たまには違う場所もあったそうなんだけれど、それはその納屋の近くに大人たちがいたという理由からなんだろうけれど、ほとんどの時間を狭く薄暗い湿った小さな納屋の中で過ごしていたのだ。そこで何もすることはなかった。ただ時間をやり過ごしていただけのことだった。
みんなはそんな場所にいることのほうが異常だと言っていたし、親に隠し事をしているということを責める人もいたのだけれど、ボクにはそんなに悪いことなんてことは感じられなかった。どうしてそう感じられるのかあの頃は説明できなかったのだけれど、親に心配をかけないために嘘をついていた、なんてことを考えられるようになると、あの時の感じに納得いくようになった。
子どもが嘘をつく理由ってのは二通りあると思う。一つは「親に怒られるから」そしてもう一つは「親が悲しむから」だと思う。(もう少し大きくなると自尊心なんてものも関係するだろうけれど)Aくんの場合は「親が悲しむから」その納屋にいたのだ。だから子どもの嘘とか隠し事は親の責任でもある。過度の愛情とか逆に感情的な怒りなんてものが子どもの心を屈折させる。いや、愛情はあってもいいけれど、そういった嘘や隠し事をするようになるという認識さえあれば、逆に子どもを責めることもなくなる。全ては愛情に応えるためなのだから。
体罰やいじめで子どもが事実を隠してしまうことがある。隠すだけなら良いけれど、自殺してしまう子どももいる。嘘をつかなければならないほど苦しんでいる、ということを分かってあげないと、そうして嘘つきにしてしまったのは自分であるという自戒をしないと、子どもは救われないのかもしれないと思う。
Aくんが珠算教室に行きたくない理由というのはとうとう分からなかった。たぶん、理由なんてものはないのだろうと思う。その納屋にいることが心地よかったのだろうし、心地よくなっていったのだと思う。それが親のためだという倒錯してしまった愛情がさらに意識の中で納屋を心地いいものにしたしまったのだろう。
そのことが心の傷にならなかったことを考えると、親御さんはAくんを叱ったりもしなかったのだろうと思う。いや本当は叱って無理やりでも連れていったほうが良かったのかもしれないとも思う。子育てに正解なんてものはないのだろう。でも子どもが大きくなって「あの時は」とキチンと説明できることが大切なのだろうと思うのだ。その説明をする時に逆に嘘をつかなければならないようなことが親側にあることのほうが問題だと思う。ただ感情的に叩いておいて「あれはお前のためを思って」なんて嘘をつくことのほうが問題なのだ。
子どもを育てたことのないボクが言うのもなんだけれど…。育てられる自信もないのだけれど…。きっとそうなのだ。
菅野美穂 ポスター父の日
お父さんはいないし、お父さんと呼んでくれる人もいないし…「おやじ」とは言われるけれど…。

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