鰤大根 追悼2014年

風呂に入った。午後4時前。

故郷、子供のころは大晦日には早めに風呂に入って食事をした。もう少し寒が厳しかったように憶えている。軒に寒鰤が吊るしてあった。ひと晩ふた晩寒気にあてたほうが美味しかった。そう父が話していた。

寒鰤の身の冷たさや故郷(くに)の海(笠山)

鯛が届いた。朝の9時。早速刺身にして買っておいた日本酒で一杯、二杯。鰤の切り身もアラも入っていたので干し大根と一緒に炊く。大晦日には鰤大根も常だった。甘辛く炊くのが母の味だった。

朝夕に大根の恩や冬籠り(井月)

大晦日だと言うのに街には普段通りの時が流れている。特別なことは一切ないのかもしれない。それほど豊かになったのだろう。子供のころは盆と正月に洋服を買ってもらった。あの頃はなにもかもの値段が高かったように思う。というか、ボクたちは質素に暮らすことに慣れていた。

裏山に椿の大木があって、その花の蜜を吸っていた。あれはけっこう甘くて花の香りが鼻の奥のほうに漂ってくる。メジロやヒヨドリと競って吸っていた。今思うと贅沢なことだ。

大晦日の夕食が終わると、レコード大賞を観て、そのあと紅白を観て、ゆく年くる年、それから初詣でに行った。兄は一番に参詣すると言って、ボクたちとは別だった。ボクとは違ってそういったことにこだわる人だった。ボクはどうもなんだかそんな場所が好きではなくて、いつも父や母の間に隠れるようにして歩いて行った。

たったそれだけの大晦日だった。やっぱりあの頃だって普段通りの時が流れていたのかもしれない。たったそれだけのことなのだけれど、幸せだった。それはきっと、それがきっと家族というものなんだろうと思う。

鰤大根

これからボクは鰤大根で酒を飲む。特別に良いことがなかったけれど、それほど悪い一年でもなかった。相変わらず忙しい日々の中で自分のやりたいことも出来ないでいるのだけれど、それはそれで幸せなことなのかもしれない。相変わらず質素な生活の中にあるのだけれど、それでも貧しくはないし、空腹で眠れぬこともない。幸せなのかもしれないと思っている。

来年もこんな風に何もなく一年が過ぎてくれると良いと思う。穏やかな日々だけがボクの望みなのだ。

部屋の掃除を少しだけして、さて、良いお年を。

大晦日 鯛

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