豊橋父親死体遺棄事件で考えたこと
豊橋父親死体遺棄事件は、父親を、ハンマーで殴り殺し、ノコギリで切断し、クルマで運び、ボートに載せ、重しを肉片に括り、海へ捨てた、犯罪史上稀にみる残虐な親殺し。そして犯人である息子は、そのまま2年間、何もなかったように暮らしていた。
豊橋での事件だ。
父親の遺体を捨てたとして、豊橋署と三河海上保安署合同捜査本部は10日、死体遺棄の疑いで豊橋市牟呂公文町、次男の大葉農家小林大介容疑者(31)を逮捕した。同容疑者は認否について黙秘している。父親は約2年前から行方不明となっており、捜査本部は遺棄したとされる三河湾を捜索している。
同捜査本部によると、小林容疑者は2016(平成28)年10月24日ごろ、父親で同市牟呂町のアパート経営・小林生治さん(当時63)の遺体を自分のゴムボートで三河湾の海中に遺棄した疑い。
生治さんは16年10月22日午後7時ごろ、妻が自宅で見かけたのを最後に行方が分からなくなり、妻と長男が10月31日、豊橋署に捜索願を出していた。
金属バットの距離
1980年に起きた神奈川金属バット両親殺害事件、その頃までは親殺しの距離はバットの長さを必要としていた。倫理観とか道徳観とか死生観なんて正しさを越えるには、その80センチほどを必要としていた。壊れた心が80センチの距離を超えたとしてナイフで刺す、とか、紐で絞める、とか、直接的な接触はなかった。それほど死は禁忌されるものであり、親は敬虔な存在だった。
それは文化であり、それを教育とか躾という風土が育み重厚に構築してきた。
躊躇なき親子殺人
そうしていつの間にかこの国の殺人事件の5割強が「親族殺し」になってしまった。殺人事件は80センチの関係性の中でおきるようになってしまった。親は簡単に子を殺し、子もまた躊躇なく親を殺す時代になってしまった。
高度成長期が終わって、例えば1980年という時代から、ボクたちはムラ社会を離れ個の社会を好むようになり、親族の関係が以前よりも深く重く濃いものになった。そうして中心はムラや国という広い空間や時間を離れ、家族という単位にかわった。わずか30坪ほどの世界観、その狭い空間の中での他者との関係性。ボクたちはその中で存在する。ボクたちの存在を脅かすものも、否定するものも、攻撃するものも、その中にいる。その中にしか見いだせなくなる。近親相姦と近親殺人、親殺しと子殺し、すべては自己のために、自己の生存のために行われる。それが動物本来の姿なのかもしれない。
そうしていよいよボクたちは超個人社会の住人となって、今度はもっと身近なネットの中に家族を求め殺そうとするのだろう。そう、豊橋父親死体遺棄事件について考えているのだけれど。
田原市 姫島
父親の遺体を三河湾に遺棄 豊橋署など次男を逮捕 | 東愛知新聞
いまや殺人事件の5割超 「親族殺し」なぜ増加している?|社会|ニュース|日刊ゲンダイDIGITAL

