ユニチカ用地売却訴訟で考えたこと
2018年2月8日
「佐原光一市長を相手に63億円の損害賠償の請求を求めた訴訟の判決で、名古屋地裁(市原義孝裁判長)は8日、住民側の訴えを全面的に認め、市長に対してユニチカに全額を請求するよう命じる」ニュースが流れる。63億円がどれほどの量の金額なのか、ボクたちは知らない。
3557円を無銭飲食した67歳の男の記事を地方新聞で見ている。3557円がどれほどの金額なのかボクたちは知っている。
九州出身のその67歳の男にも幸せな時代があったに違いない。出稼ぎでやってきて、とうとう帰る場所もない出っ放しになってしまった。67歳の男の青春時代には紡績産業で愛知県は賑わっていた。集団就職で全国から家族のためになかば売られるようにやってきた人たち。
紡績が下火になったら今度は自動車工場に期間工や派遣社員で若者たちがやってきて、使い捨てられた。
ボクたちは出っ放しになって戻る家をなくしてしまった。それは自己責任かもしれない。それは自助努力が足りなかったかもしれない。それでもそういう人たち、ボクたちのおかげで紡績産業も自動車産業も、そうして豊橋市の経済が豊かになったのではないのか。そしてその街で、今の世の中で無銭飲食をしなければならない人がいるということは、いったいどうゆうことなんだろうか。
63億円というお金が簡単に使われ、67歳の男が3557円の無銭飲食をする。
これが格差の姿なのだろうか。企業や市は、出稼ぎ労働者を、期間工や派遣社員を安く使い、肥え太ったのではないのか。
寒風吹き荒ぶ街に相変わらずボクたちはある。