マーラの死

豊橋総合動植物園(のんほいパーク)で生まれ、骨折しリハビリ中だったアフリカゾウのマーラが死んだ。

フルサト遠く連れてこられた象をわざわざ閉じ込めて飼育することにどれほどの意味や意義や価値なんてものがあるのだろうかと、また思った。母親の愛情も家族の温もりも故郷の柔らかさも知らずに死んで、幸せだったのだろうか、そうまた考えた。

子ゾウマーラ・・・それでも群れ飼育を中止しませんか?

マーラの骨折は深刻な状態らしくて、今日の地方紙(どこかは忘れたけれど「東日」か「東愛知」)の情報によると、治る確率はかなり低くて、おそらくこのまま寝たきりになる可能性が大きいらしい。二歳にして寝たきりになってしまった。

計画されている象の群れ飼育の施設内でその姿を見せるのだろうか。そんな寝たきりマーラを見た子どもたちはどう感じ、どう思うのだろうか?例えば「飼育」するという人間のエゴを考え、動物の哀しみを理解し、優しさを学ぶのだろうか。「ああ、なんてかわいそうなマーラ」なんて涙する子どもたち…。

あるいは、寝たきりになっても生きて行こうとする姿をみて「ボクも頑張らないと」なんて考える子どももいるのだろうか。ほんとうに象飼育によって「子に幸せ」が訪れるのだろうか。

ボクが知る限り「反対」の声のほうが多い。それも圧倒的に多い。いったい誰が賛成しているのだろうかと思うほど、多い。そして誰もが違和感を覚えている。

たぶん、マーラは治らないで死ぬ。そうしたらまた飯村のどこかに穴を掘って埋めるのだろうか。群れで飼育、それも人工飼育することの弊害はかならず出てくる。ニホンザルや鹿なんてもともとこの国にいる動物と同じように考えてはいけない。フルサト遠く連れてこられた象をわざわざ閉じ込めて飼育することにどれほどの意味や意義や価値なんてものがあるのだろうかと思うのだけれど…。

……。

砲塁  丸山薫

破片は一つに寄り添おうとしていた。
亀裂はまた頬笑もうとしていた。
砲身は起き上つてふたたび砲架に坐らうとしていた。
みんな儚い原形を夢みていた。
ひと風ごとに砂に埋れていった。
見えない海
候鳥の閃き

豊橋総合動植物公園

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