そして十番切幡寺、徳島へ(43日目の4)

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10時30分に出発した。
八十八番札所大窪寺を打ち終えた、というか四国遍路を結願したボクは、一番札所霊山寺にお礼参りに行き、それから高野山に参詣して巡礼を終えようと思っていた。そういう意味では、まだ終わってはいなかった。

国道377号線五名トンネルの手前を右折して大影小学校へ出るルートを歩いた。右折して少し行くと徳島県に入った。戻ってきた、という感じがそこでした。橋の欄干には「徳島へ40キロ」と書いていた。その数字が実感させてくれた。

「徳島へ40キロ」という橋の欄干

(徳島県市場町大影にて)

12時15分、相栗バス停前休憩所にて休憩。昼食をとった。いつものようにソーセージとカロリーメイト、非常食を食べ尽くす1日となっていた。コンビニのない日はいつもそうだった。いったい何本ソーセージを食べたのだろうと考えていた。

12時35分出発。ゆっくりとした下り坂を南下していった。秋晴れの天気は心地よかった。心地よかったのだけれど、一時間もあるけばお腹が空いてきた。犬の墓北のバス停の先だったか手前だったかに、お菓子の自動販売機があったので、プリングルスのポテトチップスを買って食べた。

そして犬墓大師堂を過ぎて、もう徳島自動道が遠くに見えるあたりに「手打ち阿波うどん」の看板があった。やっと温かいものが食べられると思ったら、ちょうど休業日だった。店内をのぞいたら店の人が出てこられて「すみません」と申し訳なさそうに言った。そしてお接待にオロナミンCをくれた。なんともこちらのほうが申し訳なかった。そのオロナミンCを飲んだ。

徳島自動車道の高架をくぐり、しばらくして左折、県道を歩くと懐かしい感じがした。そして43日前に通った道に出た。しばらくすると切幡寺の山門前に着いた。懐かしかった。ふじや食堂の前まで行った。おばさんと目が合った。ポン菓子(スウィートライスと言ったいたけれど)をお接待に頂いたのだけれど、たぶん、何十人何百人のうちの1人だから、ボクのことは憶えてなさそうだったので、頭だけ下げてお土産物さんの前のベンチで少し休憩した。15時30分だった。

ねぐらのことを考え始めた。結願しても同じなのだ。食べたり寝たりすることから開放されるわけではないし、歩く以上に難しいのが眠ることなのだ。考えながら、出発した。「初日に泊まった上板総合公園に行こう」と思った。そうすることが一番良いように思えた。それに分かっていた。探す労力が要らなかった。

2日目に歩いた道を上板に向かった。記憶はかなり正確だった。懐かしかった。法輪寺からは札所経由ではなくて県道12号線を歩いた。国道318号線との交差点にあるサンクス土成店に寄った。16時12分だった。夜が近づいている気配がしていた。少し急いだ。急いだところでたかがしれている。ゆっくりゆっくりと影が伸びていった。県道235号線との交差点あたりで、西の空は朱色に染められていた。

朱色に染められた西の空に三日月

(阿波市吉野町五条あたり、朱色に染められた西の空に三日月)

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