超軽装備エコノミスト登場(33日目の4)

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鎌大師に着いたのは17時20分で、どこからか幸せのにおいが香っていた。醤油と砂糖を煮るにおい、それが夜を迎える合図でもあり、一日を終わらせる儀式であるのだろうと、考えていた。

鎌大師のへんろ小屋は境内にあって、立派な建物だった。そこに貼紙がしてあった。「宿泊厳禁」。ボクの疲れはそこでピークを迎えた。その貼紙を無視して倒れこみたかった。少し考えて大師堂に向かった。そして庵の人に頼んだ。「ひと晩泊まらせていただけないでしょうか」と言った。すぐに「お断りしているんですよ」との答えが返ってきた。ボクは「このあたりに泊まれるようなところはありませんか」と訊いた。すると「浅海大師堂」を紹介してくれた。地図に「大師堂」と小さく載っていた。

「そこに皆さんお泊まりになるようですよ」と教えていただいた。ボクはさらに「ここからどれくらいかかるでしょうか」と訊いた。「私の足で昼間、30分ほどでしょうか」とのことだった。

礼を言って鎌大師を出発した。坂道を登りきると今度は急な下り坂になった。真っ暗な中での鴻の坂、そして峠越えだった。浅海原の集落に着くと、ひとりのおじさんが前を歩いていた。声をかけた。「すみません、浅海大師堂へはこの道でいいのですか」。

おじさんは親切にもボクを大師堂まで連れていってくれた。そして大師堂の前でまた引き返していった。ありがたかった。少し話をした感じでは建設関係のお仕事のようだったのだけれど。

18時10分着。浅海大師堂は賑やかだった。その日はお大師様の日、というか、近所の人たちが集まってお経をあげる日ということだった。大師堂の下に管理されている方の家があって、挨拶にうかがった時にそれを聞いた。「一緒にお経をあげていればいいですよ」とその家の奥さんは言った。そして「今日は2人お遍路さんが泊まるようで」と言った。

ボクを含めて3人、なんだかそれはとても疲れるように思った。ボクは、挨拶をして、大師堂を後にした。そしてJR浅海駅に向かった。駅か海岸でテント、と思った。

駅に着いてベンチに座ったら、もう動きたくなくなった。18時30分だった。そのまま誰もいないベンチでパンとカロリーメイトの夕食を摂った。ホットゆずれもん、そしてミルクティー2本を飲んだ。もう12時間近く動き続けていた。食事も休憩も満足に取っていなかった。

ベンチに座っていた。そして21時になって寝袋を出した。下半身だけ入れて座った。眠いと思ったら寝ていた。電車が着いて、人々の声で目が覚めた。22時になっていた。マットも出した。寝袋に収まった。それからまた寝た。

23時を少し回ったあたりで、超軽装備の男がやって来た。その時間まで歩いていたそうだ。その日は宇和島からだと言った。ジーンズにTシャツ、その上に薄いジャケットという服装だった。それにデイパック。

「寒くない?」と訊いた。「寒いですね」と答えた。「やっぱり遍路なの?」「はい」という答えを聞いても、金剛杖も菅笠も、白衣もないのだから、どういった遍路をしているのかということに興味がわいた。それでもそのことを聞くのは失礼にも思えた。ボクは黙っていた。

しばらくするとその男はお茶のペットボトルを買ってきた。そして1本をボクにくれた。「ありがとう」と受け取ってそれからひと口だけのんだ。この寒いのに、そして「軽装なのに冷たいお茶かよ」と思った。「寒さにやられたのかなあ」なんてことも思った。

あまりにも寒そうなのでカイロを3個あげた。それからボクは「寝るね」と言って目をつぶった。次に起きた時にはその男が目の前にいた。かなり驚いた。ボクの顔を覗き込んでいた。すぐそこで。手の届く距離に。

浅海駅待合室のベンチとボクの遍路旅道具
(浅海駅待合室のベンチで寝ました)

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