3月11日の朝に考えたこと
信号を待っている梅の下、その交差点にも春は来ていて、うっすらと梅の香りが降りそそぐ午前5時あたり。庭木に梅、輪切りにした蜜柑が置いてあるのは、きっと鳥たちのためなのだろうと、ボンヤリと考えている間に信号がかわってしまった。春だよね?
お腹空いたね。なにか食べないと・・・。
3000円の春闘。その額のベースアップがどれほどの幸福をもたらすかはわからないけれど、ボクたちはホンノリしたしあわせを望んでいたりする。高級レストランで贅沢なステーキよりは手造りの煮物みたいなもの、化学物質まみれの洋服よりはオーガニックなTシャツ、ホテルよりは市営グランドの駐車場での車中泊、車よりは自転車、要するに金よりは質、便利さよりは優しさ、そんなものを望んでいる。
「コンプリート格安人生」とはちょっと違う、ふた昔前ぐらいに流行った「清貧」とも少し違う、そうそう「スモール イズ ビューティフル」という考え方のほうが、ボクにはむいている。
ボクには、いや人類にはむいているように思う。たっぷりと消費することが正義だなんて洗脳され続け、もうその虜になってしまった今となっては、その呪縛から解き放たれることは難しいのかもしれないけれど、このままだと、きっと、ボクたちは寿命まで生き延びるかもしれないけれど、その子たちの将来は、果てしなく暗いものになるに決まっている。ちょうど巨大化した恐竜が絶滅したように、巨大化した人類は絶滅する。
確かにね、こうして朝早くから暖房入れてパソコンの前に座ることが出来るためには、電力が必要だよね。いくらスモールな生活を心がけているとしても、原発はありがたい。電気代、家賃なんてものが安くなるんなら、近くに原発できても良いよ、なんて思ったりもする。なんならこの部屋にどうぞ・・・。
再生可能なエネルギーが十分に供給されないとなると、環境のためには原発も必要なのかもしれないと考えたりもする。社会保障のためには成長し続けなければならない。そのためにもっと消費を、もっと生産を、もっと電力を、なのだろうね。
3000円のためには、それ以上の生産と消費が求めらる。
ボクはそんなことを考えながら、交差点を渡ると、少しだけ明るくなってきた東のあたりを見上げて、「お腹空いたね」とつぶやいていた。そうしてその方向にあるコンビニへ入って肉まんを食べていたりする。
こないだ行った蔵王山からの夜景、というか、もう朝間近だったんだけれど・・・。
あ、どうも、いつも拝見しています。
いや、「だめ」ではなくて、すこしだけ違うだけで・・・。それはたぶん、もう変えられない性格だったりするのだろうと、考えています。
夜更かしなのですね。
やはり、コンプリート格安人生ではだめですか!