距離 5年目の3月12日の朝に考えたこと
ボクの生活は、5年前とほとんど変わることなく、朝にはこのアパートの階段を下り、仕事が終わると朝と同じままのこの部屋にたどり着く。休日にはボンヤリと外をながめて、たまには近くの公園へ散歩に行く。お腹が空いたらスーパーへ行き、買ってきた食材を調理し食べる。その繰り返し。ただホッチキスが来なくなってボクの心と身体は沈める場所を失くしてしまっているとしても、そのこと以外は(それはボクにとっては大変なことだとしても)まるでライン作業のようにキチンとタクトタイム通りに日々は過ぎてゆく。
3月11日だって、そうして3月12日だって、ボクたちの生活はほとんど変わることなく流れている。ほとんどの人が、画面のデキゴトに涙したとしても、それは一瞬のことで「あ、そんなこともあったんだね」なんて、また昨日と同じで明日も同じだろうなんて日常という安全な位置に戻ってゆく。「そんなの関係ねえ」という位置、にいる。
ボクたちは共犯者だった。経済ゲームの中で原子力発電に異議を唱えることなく、そしてそのゲームの勝者になり豊かになった。福島は違ったけれど。
その勝者は相変わらず「春闘」だ「ベア」だと経済ゲームの中で「もっと電力を」と叫んでいる。生産し消費することが、やっぱり正義なのだ。ボクには「もっと原発を」と叫んでいるようにしか映らない。
ボクたちの罪は赦され無罪放免になったのだろうか。福島や被災地の人たちは未だに苦難の中にあって、処払いの罰を受けているというのに。もうすっかりそのことは忘れて「もっと原発を」と言っていいのだろうか。
確かに復興費を拠出するためには経済の発展とそれにともなう税収の増加が必要なのかもしれない。ただ、そのことを盲信し過ぎて、その方法だけに固執し過ぎるために、思考停止しているのではないのか。「マイナス成長でもやっていけますよ」なんて経済学者や政治家はいないのだろうか。
そんなことを考えたところで、ボクも福島から遠いところにいて、もうすでに思考停止している。繰り返されるということの安心の中にいて、「もうこのままでいいじゃん」なんて思ったりしている。
そうなんだ、ボクたちはいつも共犯者なのだけれど、その責任をいつも誰かに押し付ける。そうして福島にしろ沖縄にしろ自分の位置から遠いところの人たちを犠牲にしてのうのうと生きている。なにかあったら罰も押し付ける。どれほど犠牲者が出ようと、どれほどの人々が苦しもうと、ボクたちはいつもそこからかなり距離のある場所にいる。
そうしてたまに映し出される福島や沖縄のデキゴトに、怒り、泣き、共感する。
今朝、ボクは「ああ、もう残りの人生を除染作業員として過ごしても良いかなあ」なんて考えていた。でも、明日3月13日になればそんなことは忘れてしまって、相変わらず「お昼ご飯何食べるかなあ」なんて考えているのかもしれない。そして4月になれば、すっかり共犯者であるということなんかは忘れてしまって、そうして仲間がどれほど苦しんでいるかを知っていたとしても、そのデキゴトやジジツに蓋をして、なかったことにしてしまう。それができる。そしてそれがボクたち人間なのだ。
ボクたちは共犯者であり、そして罪人なのだ。ただ犯行現場からの距離だけで、知らぬ顔も出来るということなのだ。そして一切被害も受けずに、罪も罰も受けずに、シアワセな朝を迎えられている。
いつの間にか梅は散っていたんだね。
けんちんうどんさん、どうも。
いろんな人がどれほどの言葉を連ねたとしても、陛下のお言葉にはかなわないのでしょうね。
なんというか、ボクたちは国家において繋がっていないといけないのだと思っています。同胞を「非」なんて差別することなんてのももってのほかだと。それがこのブログのテーマだったりするのですが・・・。
追悼式での天皇陛下のお言葉と
田原笠山さんのこの日のブログ、
大切なことを忘れないようにするために
時々読み返そうと思いました。