出稼ぎと期間従業員

出稼ぎとは「所得の低い地域や就職先の少ない地域に在住する者が、単身で所得が高く就職先も多い地域で就労すること。」(Wikipedia)、「家を離れて一定期間他の地方や国で働くこと。多く農業従事者の季節労働をいう。」(大辞林)だそうです。

Wikipediaではさらに「かつては、東北地方や北陸地方などの寒冷地方の農民が、冬季などの農閑期に首都圏の建設現場などに働き口を求めて出稼ぎして来ることが多かった」と概要を記しています。

貧しい地方の出稼ぎ

かつてはそういう人が多かったのでしょうね。例えば、ボクの生まれた地方も出稼ぎに行く人がかなりいました。親子で土木の飯場に行っている人もいました。ボクの両親も同じです。父は作業員として、そして、母は炊事婦として同じ飯場に暮らしていたそうです。

そんな「貧しい地方」というのは多く存在しました。父は貧しさのために学業を諦めて家族のために中学を卒業すると出稼ぎに行ったそうです。そしてそれは美談として子供たちに語られました。

九州のトンネル塵肺訴訟の例がそうです。寒い地域、農閑期、と言うレッテルだけではなく、出稼ぎは全国であったのです。

今「格差」ということが取り上げられています。それが拡大されていることが問題だといわれています。

貧乏な地域があってそこにいる人びとは国が認めた出稼ぎ手帳を持って出稼ぎに行ってました。格差は地域という広範囲にあったのではないでしょうか。ボクは今さら何をという感じなのです。農業や漁業といった一次産業従事者は、もともと格差を感じていたのではないでしょうか。それがゆえに出稼ぎに行かざるをえなかった。

戻るとこがない出っ放し稼ぎ

「かつて」と昔話のように出稼ぎを語る。これは統計的なもので、出稼ぎ手帳の発行部数が減っているだけのことではないのでしょうか?トヨタの期間従業員でも出稼ぎ手帳を所持しているのは数パーセントだと思います。

しかしそれ以上の期間従業員が出稼ぎという意味合いを持って働いているのだろうと思います。出稼ぎ手帳を持つという意味が雇用保険受給だけのことしかないと受け取られていますから、実質的な出稼ぎは把握できないと思います。

集団就職と言うものもありました。中学校を卒業するとそのまま寮に住んで工場へ働きに行きました。そんなに昔の話でもありません。名古屋や豊橋にも集団就職でその貧しい地方から来た人がいました。その人たちがそのまま住み着いたりもしています。それほど昔のことでもないのに「格差が拡大している」と言うのは、その頃はみんな貧乏だったということなのでしょうか。貧しさが平等だったのでしょうか。

その頃のほうが「格差」はあって、出稼ぎ手帳なんてものを持っていないと保護されなかったように思います。

現在は、トヨタが唯一全国規模で出稼ぎを受け入れてくれる企業だと思ったりもします。そういう意味では出稼ぎ労働者にとってのトヨタはありがたい存在かもしれませんね。

今日は16時のぐるりんバスに乗ってジャスコに行こうと思ったのですが、バス停の行列を見て引き返しました。花冷えのする4月1日です。

笠山から蔵王山、現在の「出稼ぎ」の街田原市
笠山から見た蔵王山

 

https://kixxto.com/5750/</a

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